負のスパイラル 3

医学研究最初の躓き

私の医学研究に関する最初の躓きが何であったか, 今でははっきりと分かる. 私には何でも好き嫌いがあって, 嫌いなことを避けてしまうのである. そのひとつは統計であろう. かといって統計が嫌いで論文が書けなかったかというとそうではなくて簡単な統計計算で有意差が出ないとそこで論文が進まなくなってしまったことが大きい. しかしもっと重要な, 論文を読んだり書いたりするときに必要な evidence を出すための統計学に親しもうとしなかったのである. 要は evidence based medicine が嫌いなのだ. 統計ソフトはどうしたのかというと Stax とか, なんとか stat とか色々使ってきて, 確か教科書も数冊持っていた.  統計ソフトをどのように使用して結果をどのように記述するのかが最も課題であるがここでどうしても突破口を開けられない. 教えてくれる人がいなかったのだ. 自分が集めた症例数のなかで都合のよい結果が見いだせなかったことはもっと大きく, 中途半端な数を集めたテーマが幾つ PC の肥やしになったか枚挙にいとまが無い. 従って統計を駆使した論文は書き上がらない. 学会発表止まりである. 正直言ってほぼ t 検定しかやったことがない. あることの統計学的有意差を出すには症例が何例必要かと言うことを計算する方法があるらしい. 臨床研究とは一定数を集めないとどうしようもないのであるがまずは研究計画を的確に立てることが必要である. 研究計画を立てるには他の論文をまねることから可能だ. どの論文? 手っ取り早いのは教室の書いた先輩たちの論文をまねることで, もし適切な指導者がいればこれは可能である. 私にはその資格がなかった. 臨床の医学研究には臨床研究と症例報告があり, 前者に従事できないものは大学を去るべきである. そういう自分は去ってからそう自分に言い聞かせているから本当にインチキな人間だ. 臨床研究は evidence を作り出すことであるが一介の臨床医がそう簡単に evidence を作ることができるだろうか. 比較的楽にこれができる方法は HY 先生に教えていただいた. 例えば10 段階で患者に評価させる ないしは医師が10段階で評価して前後や経時的に比較することだ. 実際にこのような方法である統計量を出してみたら臨床的な経験と一致する結果が出た. これって evidence なのか?.

負のスパイラル 2

論文投稿の挫折

BMC という英国のオープン雑誌に症例報告を 2 編投稿しようとしていた. 結局挫折したがその間に 2 年ほど経過した. 当方年齢的にもほとんど定年で結論から言うと採択されるのに必要な能力をすでに欠いていたといっても過言ではないのかも知れない. 実際英文の論文執筆は集中力, 緻密な構成力, 複雑な考察能力を要する. 英語に換えることは今や簡単だが元の日本語に必要以上に工夫がいるし, 英文に修正を加えるのはやっかいな事だ. 1 編は銀杏中毒の症例で査読では筆舌に尽くしがたいほどの苦労をしてなんとか修正した. ところが最終的に書き直せというのである. 英語で言うと ” rewright” である. 全面的に書き直せと言うこと. 何をどう直せという指示がなく単に書き直しを命じると言うことが何を意味するのか理解するのにそれほど時間はかからない. 遠回しの reject である. この論文に対する査読意見には他にも理不尽を感じさせるものがあった. 「治療について書くな」. これは英語で言うと” do not mention to the treatment” だったと思う. 実は注意事項に case report ではより高い evidence level を必要とする treatment については書くなという表記が見られる. 一方において “Authors should follow the CARE guidelines and the CARE checklist should be provided as an additional file.” となっていて CARE では総ての治療内容を書きなさいとなっているのだ. 要は double standard で, これでは著者も困り果てる. もう 1 編は傍腫瘍性小脳変性症に関する論文でこれは 3 名の査読者がいた. 即 reject ではなかったので大変な努力をして何とか査読をすり抜けようとした. すごい返事が返ってきた. 3 名の内 2 名の査読者と連絡が取れないので 1 名の査読者を加えたところ, その査読者によって論文は reject されたと. これらを通じ, 彼らの査読は論文に対する批判というよりも日本人に対する差別と偏見がひどいと感じた. 最も誰にも批判されない立派な論文を書いているわけではないので仕方が無いかも知れないが. この様なわけで前者は最終的には IM 誌に, そして後者は neurology and neurosurgery という典型的なハゲタカ雑誌に大枚はたいて引き取ってもらうことになった. ハゲタカ雑誌はすごかった. こんな原稿がありますといってメール添付すると 1 晩でその雑誌の format に合わせてきれいに編集してくれるのです. 一般にひとつの雑誌に reject されるとそれより程度の低い雑誌に投稿し直すのだが引用文献の format が異なるために reformat が必要である. そこで reformat してくれる文献ソフトを使用するのだが, 必ずしも狙った雑誌の format をソフトが持っているわけではない. そしてもう面倒で嫌になってしまうのだ. これらの 1 連の過程は文章にすれば簡単だが実は本当に苦しかった. ハゲタカにお金を払うころには私は青息吐息で, 学問はもう終わりにしよう. 本当にそう思った. 悪いことばかりではないもので, その後部下と書いていた数編の論文を FMJ という雑誌に書いていた. 最近この雑誌が何とPubMed で検索されるようになったのだ. かの医師も綱渡りどころかもう空中を飛んでいることになったのだ.

負のスパイラル 1

2 年ほど前の冬期に私の体に最初の異常が出現した. 右の親指の先の感覚がおかしく, 入浴して十分に暖まっても回復しないのだ. これはその周辺に徐々に広がるとともに, 長時間の座位で右下肢に異常な感じが出るようになった. 倦怠感とも痛みとも付かぬ嫌な感じである. 坐骨神経痛と考えたが, 時間が経過するにつれて症状は変化. 座位から立位に移るときに大腿部含めて強い倦怠感と力が入りにくい感じがするようになったのだ.それ以外には歩行したあとに使用した筋がピクピクするようになった. 現在でも普通に歩行はできるが長時間の歩行や立位は下肢に倦怠感や言葉に言えない不快感を催させる. これらは神経内科での主訴であるので自分の領域の疾患であると考えてきたが, いまだに診断が付かない. 最初の1年間は腰椎 MRI, 胸部 CT, 全身 PET CT, 針筋電図, 神経伝導検査,各種採血, 家族性アミロイドーシスの遺伝子など可能性がある疾患の検査を受けてきたが異常が無い. 麻酔科の先生には早期から慢性疼痛を示唆された. 運転は40分を超えると右下肢の違和感と疲労が激しいが. 車を換えてからは改善している.

脚の症状は私の精神をむしばんだ. 私は鬱状態に陥った. 体を動かしたくないので真っ先に家に帰りたい. できるだけ仕事をしたくない. 負担に感じる仕事は断りたい. 人に会いたくないのでメールか zoom にする. 脚のことを気にしては眠れないだろうと思い込んで睡眠薬を常用することにした. 睡眠薬のほとんどはベンゾジアゼピンであるが日中にはむしろ抑鬱は増悪する. これは負のスパイラルである. 症状によって常に脚の方に気をとられるので集中力は無い. 休日の過ごし方として自分の趣味に向かえば多少は脚のことを忘れる. 本格的な鬱症状として趣味に対する興味の消失が言われており, これはバロメーターになる. 鉄道模型に向かえば脚のことは忘れるが塗装などのやっかいなことはもとよりやる気が出ない.

草軽デキ 12, 栃尾電鉄デキ 50, 名鉄デキ1 (モデル 8) 生地完成

草軽デキ 12 (ワールド工芸キット HOn)

9mm ゲージのキットに初めて挑戦したが全く難しかった. 先従輪の絶縁車輪がわずかなひずみでボディーと接触しショートする. スムーズに走らせるには相当な腕が必要だ.

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栃尾電鉄デキ 50 (ワールド工芸キット HOn)

上記を凸型に改造したものである. キットの構成は上記とはまた異なるがやや作りやすかった.

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名鉄デキ 1 (モデル 8 製キット)

ギヤが割れており, 修復に大変な工夫を要した. 古いキット作製にはそれなりの苦労がある.

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名鉄 3850系 生地完成

ずいぶん前に買ってあった谷川製作所の名鉄 モ3850+ク2850 キットを生地完成まで持ってきました. 元々電車にはあまり興味がなく, 中古のキットで, 名鉄は地元なので何でもいいからと買い置きしておいたのです. 客車はたったの 1 輛のみ経験はあったのですが, ウィンドウシル/ヘッダーの半田工作だけで懲りて放置したままでした. 今回は半田メッキを多用し, 半田を付けすぎないように工夫し,十分なキサゲ作業をした結果, まあまあ満足できるレベルになりました. 事前に見たいくつかの you tube が大変参考になりました. キット作製へ

零式艦上戦闘機

10 年ほど前に買ってあった日本海軍零式艦上戦闘機 1/48 TAMIYA のプラモデルを作った. 最近, 私は脚の痺れが気になって鬱気味であり, 脚の不快感から逃れるには何かに熱中するしかない. かといって鉄道模型工作はあまりに面倒でやる気がしないのだ. 新たにお金をかける意欲ないので買ってあったプラモデルを作ることにした. デカールにひびが入っていたり, 接着せずに剥がれてしまったりなど, 経年放置が裏目に出て, 仕上げはうまくできなかった. モーターでプロペラが回転する構造で, ディスプレイできる. 背景は小さいので機体をアップに撮影しないとはみ出てしまう. 塗装がうまくないのは鉄道模型と同じだ. ちなみにこの機体は航空母艦赤城戦闘機所属 飛行隊長 板谷茂少佐搭乗機であり, ハワイ攻撃時のものである. 明灰白色が推奨だが手元にあったアルミシルバーで塗装した.

夢屋, 近鉄/吉野電気鉄道 デ52 キット完成

夢屋のキットをほぼ完成させました. もう少し塗装を整えないといけないのですが力尽きています. 妻面が 3 つ折れかつエキゾティックな丸窓を有し, 輸入電気機関車の風情を感じる国産品です. 工作には大変苦労しました. 何しろ説明書があまりにも簡単で, どう工作して良いのかわからず各自に任せるという感じです. モーターと台車枠, インサイドギヤ, 車輪の組み立て順が極めてヘンテコで知恵の輪のように考えなくてはいけません. まあこうして完成してみると苦労しがいがあったと思わせる上出来の外観と走行性能で, そういう意味では良くできたキットと言わざるを得ません.

近鉄デ52 製作記

 

日本初の電気機関車とは

最初の輸入電気機関車は EC 40 ?, 最初の国産電気機関車は?..などと電気機関車の歴史には様々な切口がある. 嚆矢(こうし)と言う言葉があり, 物事の始まりを意味するらしい. 様々な文章で, 「日本における電気機関車の導入例は, 足尾銅山において1891年[1]に電気機関車を走らせたのが嚆矢とされている.」といった記述を見かける. Rail Magazine 39 (1987) p58 には黎明期の電気機関車という西  裕之氏の文章があり, この点が詳しく書かれてあった. 明治 28 年に東京で内国観業博覧会というのが開催され, ブリル社製のスプレーグ式電車 2 両が会場内で運転され市民が試乗したとのこと. その翌年 (明治29, 1896年) には足尾銅山で電気鉄道が坑外運搬を行ったことを古河鉱業操業100年史, P133, 昭和51.3 から引用し, 実用的電気鉄道はこれが最初に間違いはないであろうとしている. 同論説によると銅山の電気技師の宮原熊三が中心となってGE (ゼネラルエレクトリック社) 製品の輸入一手販売権を持っていた岩垂邦彦 (後に日本電気を設立した) から入手した GE 製電気機関車の図面を模倣して足尾銅山工作課が製作したという国産電気機関車であった. もしこれが本当であれば国産初の電気機関車はアプト式よりはむしろこちらということもいえる. ちなみに足尾銅山のその後の車両は電化にも寄与したジーメンス・ハルスケである. 最初の電気機関車の形態はその後のマイニングロコに見られるような L 字型ないしはその変型と思われる. 我々の中国のことを知的財産権を犯しがちなものまね国家とレッテルを貼っているが, 日本と同じ歴史をたどっているだけなのかも.

 

マスクは電子レンジで再使用はいかが

マスクをセーブする方法を考えていましたが, まずはアイロンで熱処理も良いかなと思いました. 次に電子レンジの殺菌, 抗ウイルス効果を調べたのですが, なかなか良さそうな記事が多いです. 早速, 身の回りに放置してあった自分の使用済みマスクをチンしましたが (700W 1分半ほど), 多少の焦げ臭さがあるくらいで問題なし. ちなみに鼻に金具(ある種のプラスチックの誤り)の入った医療用ですが, とくに火花も出ませんでした. 再生使用できると私は考えます. もちろんマスクの予防効果(拡散防止効果ではなく)はそもそも疑問ですが.

重要な追加事項. 燃えないマスクは Nissho と書かれてあるもので, 他には鼻に実際に金属が入っているものがあり,一瞬で発火することが判明しました. 上記は普遍性がまったくありませんので念のために.

鉄道模型格安点灯計画2

定電流ダイオードと整流ダイオードで格安に前照灯と標識灯が点灯できることを見いだしたが, 効率よく配線するにはこつがいる. 結線は簡単に見えてやっかいなのはLEDに極性があり, どちらか分からなくなってしまうからだ. この欠点を補うにはピンジャックを使ってどちらが正しいか現場合わせ出来るようにするしかない. 半田で付けてしまうと間違えたときに修復が面倒なのだ. さらにダイオード同士が交錯しないようにLEDのピンを交互に接続するのが結線がやり易い. 回路図1は1案. 回路図2は改善案である.

とりあえず1案で作製した現物は下である. 上記のように配線したものを折り曲げてある.実際に点灯したものは. 銚子電鉄デキ3.

上の写真は電子部品屋で購入した微小ソケットジャックですがこれをニッパで切断して使用した.

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回路図2で量産したset です. これは2台分の回路です. 極性を間違っても半田付けをし直さなくて済みます. ちなみに最初に使用した整流ダイオードはCRD のものと比較して線が太く, 少し細いものにし工作は楽になりました.