EB級 輸入電気機関車 銚子電鉄デキ3  上田丸子電鉄 EB4111   岳南デキ1

EB級 輸入電気機関車 (new)

 

EB級では鉄道省が直接輸入したものはないと思われます. 私鉄籍であったものが鉄道省に買収されるという歴史的変遷がありますが輸入電機であることには変わりないです.

銚子電鉄デキ 3

ワールド工芸のキットからの製作です. 実車は1922年(大正11年)にドイツのアルゲマイネ社で製造されたもので, 当時は宇部興産で使用されていました.

こうしてみると全くおもちゃにしか見えませんが現物があるのです. 上の状態で数年間放置し下の EB4111 に先に完成されてしまいました. このデキはツートンカラーできれいに塗装したいとの願いが壁になっていました. 下記は塗装時, 分解した折に撮影したもので, 年月が経過し, 錆がきています.

下は塗装を終えて点灯の結線も終了したところです. この後, 袴をはかすときに電線を通すことを忘れていることに気付き, 半田はやり直しです. この回路をキャビン内に押し込むのは一苦労でした.

別稿でも記載した自作の点灯回路を狭いキャビン内にになんとか挿入できました. 赤いプラスティック部分は上から下に向かって刺せるプラグです. LEDは極性を間違えやすいのでピンプラグにし, 刺し直せるようにしたアイディアです. 現在この回路を複数作製中.

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完成していたEB4111と並べますとまたその大きさが分かります. インレタは接着剤の劣化のために転写できず, 一旦あきらめです. その後紛失!!

上田丸子電鉄 EB4111 ワールド工芸キット

上田丸子電鉄 EB4111は GE 社製で 1924 年 (大正13年) 製造とされています. Wiki によると丸子鉄道が大屋 – 丸子町間電化時に導入した凸形二軸電気機関車A1で, EB1を経てEB4111となった. 1963年に別所線に転じ, 1975年に廃車された.となっている.

ある日私の勤める病院に信州上田市から患者さんが紹介されてきました.その方はN市からその方面に旅行中に病気を発症し, 寝たきりになられて紹介転院され, 主治医が車に同乗して患者さんを送って来られたのです. 上田市と聞いたときにこの上田電気鉄道を思いだし, 調べるとこの輸入電気機関車が在籍していたのでした. 手に入れたのはこの患者さんがきっかけで, ほどなくこれを大須の中古屋さんで見つけたのです. こういうマイナーな機種は得てしてコレクションの末期になるのです.

キットはエッチング板とその他の部品からの構成ですが小さな箱にきっちり収まって入っているのが非常に愛おしいです. この真鍮板の輝きは金そのもの. ところで 2019.12 現在, ワールド工芸のHP において新しいバージョンのキットで製作記が出ています. EB4111 製作記. これをみるとさすがにプロの記事はうまいと思いました. 私は動力部をトビカで塗装しました. 手順どうりに組立ててもいろいろ問題が起きますが, まずはギヤの組み付けで大ギヤと小ギヤが干渉し, スペーサーを切削短縮させる工作が必要. そして下の写真の如く微妙にモーターが水平にならずに帯板を噛ませて角度修正が必要でした. 下のモーターの組み付けは誤りで後に180゜回旋させている.

この後フジのプライマーを吹き付けましたが黄色い成分が沈殿し, 時々そのかたまりが飛んでしまい失敗. ボークスの灰色のプライマーに変更しました.

くどく写真を撮ってしまったが本当にかわいらしい電機である.  キャビン内は配線で埋め尽くされ, 外から緑の熱収縮チューブが見えてしまい, 黒にするべきだったと後悔. このチューブの内部はダイオードである. 売るつもりで作っていないからこんなことになるのかも. 塗装はマスキングが不充分で, トビカトップガードが回ってしまった. こういうのは紙やすりで擦って上から再塗装か. Mr. メタリックカラーのメタリックブラッディーレッドは結構深い色合いが出た. ボンネットにつく蓋はヒンジが上下逆さまで付け方に誤り. 格安点灯化にはなんとか成功した.

岳南デキ1  アオバ キット

ヤフオクで18400円で落札したジャンクキットで, ネジとウエイトが欠損していたが, 特に問題なく製作できた. 動力は 24.5mm のパワートラックがお勧めだが手持ちが無く, 市場にもないため, アルモデルのアルパワーを流用した. Wiki では実車は宇部電気鉄道デキ1形電気機関車として紹介されており, かつて存在した日本の直流用電気機関車である. 宇部電気鉄道 (路線の一部は現, 小野田線の一部) が 1929年 (昭和4年) にドイツの AEG (アルゲマイネ社)で製造したものを購入, 宇部鉄道 (現, 宇部線) への合併を経て, 1943年 (昭和18年) に同社の戦時買収により国有鉄道籍を得たものである. 日本国有鉄道に在籍した軌間1,067mmの電気機関車では, 最小である. なるほど銚子デキ3 のほうが小さく思えるがデキ3 は国鉄籍を得たことはないためこれが最小となる.

なぜかカートンラベルがない.

このキットは分厚いエッチング板とロストの部品の構成で, 同様な仕様でED28 もある.

次に動力部分のアルパワーの紹介である. アルパワーは自分で組立てるので楽しいのだが, 複数回工作でようやく正確に組立てるコツが分かってくる. 鉄道模型は必ず落とし穴があって, 課題を一つ一つクリアしていく必要があり, それが楽しみでもある.

上記を組立てると下記のようになる. 先の細い半田ごてが必要だ.

岳南デキのシャーシとの適合を確認しているが, キットはこのパワーユニットの存在を意識しているような寸法であり, 上手く作れそうな予感がする.

どうやって取り付けるのかが問題. 帯板加工になりそうだ.

部品の加工精度はかなり高く, 組み付けには確実な手応えを感じる.

試行錯誤の末にこのような取り付け方法に落ち着いた. アルパワーに開けられている孔は丁度 1.4mm の下穴に使えるので簡単にタップが立てられる. しかし肉厚が薄いので強く締めるとネジ山をなめてしまう.

ロストの真鍮は柔らかで, 横から摘むことで手摺りを簡単に変形させてしまう. この部品を使用せずに真鍮線+ハンドレールナブの組み立てが正解かも知れない.

パンタ台は真鍮の塊で, これに1.2mm タップの下穴を開けるには苦労した. CRC2-26 を塗布しながらドリルが必要. 鬼頭師匠の工場で旋盤を見せて頂いたとき, 切削部には常に油が注がれていることを思い出した. ドリルするときには切削油を使用する必要があるのだが, しばしばわれわれは忘れており, ドリル刃の寿命を短くしている. (註: CRC2-26 は切削油ではない, しかしないよりはまし)

PS13 装着して再度記念撮影した. 解放てこの形態は正しくないが直していない.

三井三池 20 t

ヤフオクで数ヶ月間探し, 完成品の落札に成功した. 検索キーワードは 「デキ」「EB」「凸電」「三井三池」であったが前 3 者では全くだめで, 最終的には「三井三池」でヒットした. 出品者はこの電気機関車に対する知識が十分あったと推察する. 幸運な落札と私の誕生日に商品が到着したのが感激であった. キットからの製作品であるか否かは不詳であり, ネジでの分解が不可能な構造になっている. パワートラック仕様であることから, ネット記事を参考に, 安達のキットと推察している. 形態としてキャブ部分がボンネットより幅広ではないもの. 実物はジーメンス・ シュッケルト製. 走っていた線路は三井化学専用線というのが正式だろうか, 名称は色々で歴史的にも変遷している. この車両はなぜかデキなどの名称がなく, 重量数のみで呼ばれており不思議だ. 窓の十字型の桟が印象的で,  GE 製の ED11 を思い起こさせるが,  少し和の雰囲気を醸し出している.

 

これの兄弟車両が 2020 年まで実際に運用されており, net 上でビデオ画像1 ビデオ画像 2を見ることができる. パンタグラフは非常に繊細で精密に作られている. (2021.1.17)

ドイツジーメンス製輸入電気機関車にはもう一つ, 上信電鉄のデキ 1 があり, 比較のためにビデオをとった. 模型であり実際にはあり得ない重連運転が楽しめる.

小型凸電気機関車 5 重連も楽しんで頂きたい.

Rail Magazine 39 (1987年) の「私鉄の電気機関車 2」 という特集に続き, 「専用線の電気機関車 (下)」 という記事中, (株) 三井三池港務所専用鉄道という項目があった. 著者は牧原  弘, 秦野泰樹両氏で. これによると手に入れた 32 という特定ナンバーは, すでに廃車になっており (1987年現在), 1923 年に三井製作所で製造した15 t 電気機関車を 1952 年に 20 t に改造したものとありもう一輛は No 31 があった様だ. 現存する機種は多くがキャブ部分がボンネットより広くみえるがこの模型はそのような形態ではなく, 上信デキ 1 のように側面は一平面上にある. これは改造前のジーメンスの原型に近いもののようだ. 2021 年現在で残存する車両は 7 両でしょうか, 三池炭鉱専用鉄道研究所に1, 2, 4, 5, 9, 11, 12 号機の写真が載っており,すべてキャブの幅がボンネットより広いものである. 最後まで稼働していたのは多分 3 両だけだ. 下のコピー中にある図面は原型のもので, キャブの側面とボンネットの側面は同一平面にある.  (2021.1.19) net では鉄道模型の部屋にキャブに対するボンネットの幅が 3 種類の機種の作り分けが記されている. 本物の軸距は 3000 であり 80 で割ると 37.5mm である. この記事では安達製のものはスケールモデルとは言えないと批判的である. 模型では 35 でなく 31mm の軸距のパワートラックが使用されていることからか.

Rail Magazine 39 より上のコピーで. 上の車両は改造後. 下は原型 (プロトタイプ) の図面と思われ, 確かに軸距は模型より長く感じますが大方この模型のプロポーションは保たれているように見える.

これらはキャブやボンネットの拡幅が行われる前で購入した製品と同じ様なスタイルです.

名鉄デキ 1 (鉄道模型社製キット製作記)

上記三井三池 20t と同様なジーメンス・シュケルト製の凸電機です. ヤフオクで手に入れたものですが大枚をはたいてしまった. その分愛おしくなります. モデル 8 という会社からスケールモデルが出ており入手しそびれていますが, 鉄模社のこれはややデフォルメ気味でかえって味があります. 鉄道模型考古学には名鉄デキ 1タイプと書かれてあるがキット添付の説明書にはタイプという余分な修飾語はついていない. 1966 年の発売で現状 55 年が経過しており,この箱の保存状態は相当によい.

古典的なインサイドギヤ形式である. なぜか全車輪が絶縁になっており困りました. 車輪も真鍮製でクロームメッキなし.

台車は4ヶ所のねじ止めで固定できるので製作は楽.

なぜかベイカー型カプラーは 3 つもはいっており, ねじも予備がたくさんあった. あっという間に動力部は完成. しかしこのキットは総ての車輪が絶縁になっており, 台車からリン青銅板を伸ばして非絶縁側に集電シューを当てる必要がありました. 絶縁側はオリジナルの設計が真鍮線での集電でした. カプラーは IMON 製の小型のものを使用しました.

リン青銅板を台車の梁から車輪踏面に接触させた.

パワートラックよりも遙かに楽しみのある模型ができました. 走行音も味がありますし, グリス, 注油で手をかけると音や走行性能も変わります.

以下が実車の写真ですが模型ではキャビンが大きめで, 旧式の縦型モーター (ここで使用したもの) が実装できる設計のために致し方ないと言えます.

実車についてはあまり書かれたものがありません. 沖田著によれば以下です

デキ1 Siemens Schuckert= 1924-07-00 E15tB(1067)
車歴;1924-07-00製造→納入;尾西鉄道(愛知県);EL1→
1925-08-01 合併;名古屋鉄道(愛知県);デキ1→1948-12-00佐屋砂山線専用→
本線復帰大須駅専用入換機→1960-03-28廃車

晩年は竹鼻線終点の大須駅で入換に使われていたと名鉄の HP には書かれている.沖田著には竹鼻線と明確に記されていない. 大須駅は岐阜の竹鼻線にあったもので, 名古屋の大須とは異なる.

最後に動画を

名鉄デキ 1 (モデル 8 製キット製作記)

前記鉄道模型社製はスケールモデルとは言えないという考えもあり, モデル 8 製キットも中古で手に入れました. やはり発売からかなり年数が経過しています.

以上がパーツである. ギヤに割れがあるのが見える.

モーターは四角い穴にすっぽりと収まり調整域はない. モーターを動かすとどうも調子がおかしい. 片方のギヤに亀裂が入っているのに気付いた. 上の写真にも亀裂が映っていた. プラスチック製のギヤは耐久性に問題あり, 中古で手に入れた EC 40 でも同じ現象が見られた. 金属製の方が騒音はあるが確実のようだ. 車輪は車軸にねじ止めではないので修理にはかなり工夫がいる.

シャーシを治具としてボディーを組み立てる設計は非常に優れている.

割れたギヤは側方によけておいた. これで 1 軸での駆動が可能で, 動かすことはできる.

次は屋根上パンタ台の工作であるがこれは途中から実際にパンタグラフを治具として組み立てる.

上はステップであるが 1mm あまりの座金が片側 6 個計 12 個入っていた. 途中で何回も数えたが結局最後に 1 個紛失した. 0.5mm 径のステップ支えは座金が通過しないので 0.45mm 径の真鍮線で作り直した.

B 級のため軸集電のみではギクシャク走行になるため非絶縁側にも集電シューが必要であり設定した. 割れていたピニオンギヤは対角線にナイフを入れて半分に割ってしまい, 外して内径をルーターでわずかに拡大切削し, エポキシ接着剤で再生した. すこし異音がするが仕方がない

ハンドレールナブはロスト製だが総て真鍮線が容易に通過し精度は高かった.

上信電鉄 デキ 1

草軽電鉄デキ12 (16号機) ワールド工芸キット

輸入電気機関車としては最初期のもので, 凸でも箱形でもない L 型である. net では草軽電気鉄道について「長野県北佐久郡軽井沢町の新軽井沢駅と群馬県吾妻郡草津町の草津温泉駅を結ぶ鉄道路線(軽便鉄道)を運営していた鉄道事業者 (廃止時は東急グループ傘下) 」とあった. 軌間は762mm. デキ 12 については「1920年(大正9) にアメリカのジェフリー社で製造された電気機関車. ハンドブレーキ常用, 非常用電気ブレーキ付きという鉱山用のトロッコ電車で, 東京電燈が発電所建設用として輸入したものを譲り受け改造した」と記載されている. 残念ながら 16 番では手に入らず 1/87 HOn すなわち線路幅は 9mm の規格のキットであり, ヤフオクで入手した. 製作はじめると説明書が分かりづらく, 失敗をする. 認知症気味の私はうっかり勘違いをしがちで, 切除という記載を真に受けて大事な部分の折曲げから切り離してしまった. 折り目のエッチングをうっかり切り離すとあとで付けようとしても直角が出しにくくなる. まずは部品の写真から.

適当にねじを締めただけでは 4 輪がちゃんと線路に乗らないし, 乗ったとしても左右に傾いたりするので相当注意深くしないとうまくできない.

作製中にモーターが回らなくなった. 最初は片方向のみに調子が悪かったが電圧をかけすぎたのか, 始動が悪く, 指で回わさないと動かなくなくなり諦めた.

おっと, 写真ではパンタが屋根から抜けかけていることが判明. 工作し直しである. パンタグラフの軸を通す工作は大変. 9mmゲージの工作は初めてだが, 間違いなく 16 番より困難だ. 近見用の眼鏡のみではだめでルーペ眼鏡も必要である. しかも細いピンの山折り方向を確認するにはさらに高倍率の単眼ルーペを必要とする. 私は顕微鏡の接眼レンズを逆さにして使用している.

連結器は片側すこし持ち上がっている. モーターホルダが傾いている理由は不明. 新たなモーターを手に入れるためにここでしばらく休止.

代替品 (左側) を net で手に入れたが 3V 仕様である. 抵抗を入れた方が良いのだが抵抗値が全く分からない. 少し長細いのだが収まった.

従輪が片側で大きく傾いている. これは支持する軸が傾いているからだがここを修正する半田付けがなかなか難しい.

このキットは色々と問題があった. 非絶縁側の 1 輪はゴムが巻かれている. 一方で先従輪は非絶縁側は集電が可能であるが先従輪ともに線路に押しつける力が弱い上にボディーとの間は摺動の接点でしかない. つまり非絶縁側の集電力は誠に不安定であると言わざるをえないのだ. しかも絶縁側の先従輪はみて分かる泥よけと接触してショートしがちだ. まあ動かないことはないので我慢する.

栃尾鉄道デキ 50

草軽デキ12 に引き続いてヤフオクで購入. net によると, 実車は前記の草軽電気鉄道に在籍中, 1934 年 (昭和 9 年) に L 型電機デキ 12 に凸型車体をのせて 21 号機として就役し, その後 50 号に改番されて展望客車専用牽引機として運行された. そして 1947 年 (昭和 22 年) に栃尾電鉄に売却された.  入線に当たり, 草軽独特の形状だったパンタグラフをフレーム状の台座に載せた菱形パンタグラフに換装している. 出力が小さく(37kW×2), 1954 年 (昭和 29 年) 10 月に休車, 1961 年 (昭和 36 年) 4 月10 日に廃車となった.

動力部分の工作は難工事で, 説明書には書かれていない工夫が必要で筆舌に尽くし難い苦労を強いられた.

最大 3 回ほど折り曲げて半田付けし, 平面の強度を高める部分があるのだが, 山折り谷折りのどちらなのか説明図を時間をかけ丹念に読み解かないとなかなか分からない. 上の写真には写っていないがこのあとボンネットにホワイトメタルのウエイトが収まるが, 下写真のウオームギアが干渉するため, どれだけ削れば良いのかわからないので削ってははめ削ってははめの繰り返しで非常に苦労する.

パンタグラフはバネを引っかけるノッチを誤って切り落としてしまい, 余分な苦労を強いられた. もう少し親切にエッチングが作ってあればと思った. 上記 2 作は 9mmで, いずれも HO より走行のスムースさに欠けるように思った. 重量の不足からくる集電不良で仕方ないことか.

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