イザイ ヴァイオリンソナタと バッハ ヴァイオリンソナタの関係

AI に聞いてみましょう

「イザイヴァイオリンソナタ 第2番一楽章(obsession)はバッハのソナタとの引用関係はあるか」

回答 はい、非常に明確な引用関係があります。

Eugène Ysaÿeの無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番第1楽章 Obsession は、冒頭から意図的にJohann Sebastian BachのPartita No.3 in E major, BWV1006第1曲 Preludio を直接引用しています。曲名の「Obsession(強迫・執着)」とは、イザイ自身や献呈相手のヴァイオリニスト Jacques Thibaud の「バッハへの執着」を意味するとされています。

さらに面白いのは、イザイが単にバッハを模倣したのではなく、

バッハの《E長調パルティータ》第1曲 Preludio の断片
中世の死者ミサの旋律である Dies irae
イザイ自身の半音階的で不安定な和声

を交錯させていることです。

つまり、

バッハの輝かしいE長調世界が、20世紀的な不安と「死」の象徴であるDies iraeによって侵食されていく

という構図になっています。

特に冒頭を聴くと、

バッハ:E長調、開放弦を生かした明るく流れる分散和音
イザイ:同じような音型で始まるが、すぐに半音階化し、Dies irae が顔を出して不穏になる

ので、「あれ、バッハなのに何かおかしい」という感覚になります。これはまさに作曲者の狙いです。

また、第2ソナタ全体を見ると、

Obsession — バッハ《E長調パルティータ》+ Dies irae
Malinconia — Dies irae の沈鬱な変形
Danse des ombres — Dies irae によるサラバンド変奏
Les Furies — Dies irae が狂気的に再現

となっており、全楽章を通じてバッハとDies iraeが対置される構成です。

興味深いことに、献呈相手のティボーは毎日の練習でバッハの《E長調パルティータ》前奏曲を弾いていたとされ、イザイはその「バッハ中毒」をこの曲で半ば敬意を込めて、半ばユーモラスに描いたとも言われています。

ですから、第1楽章 Obsession は単なる引用ではなく、

「バッハへの憧憬」と「そこから逃れられない20世紀の芸術家の苦悩」を描いた音楽

と考えると、この曲の不気味さと魅力が非常によく理解できます。

と言うわけで両者の関係がよく分かりました

ちなみにDies Irae は元々はグレゴリア聖歌として知られていますが, どのような物か示しておきます

ソウルノート E-1 ver2 というフォノイコライザー

AI で以下の質問に答えて頂いた.

『ソウルノートE-1 ver2 とヤマハC-2a MCでの聴感の差は』

かなり方向性が違います。まず前提として、[SOULNOTE E-1 ver.2](https://www.soulnote.co.jp/detail_e1ver2.html?utm_source=chatgpt.com) は現代的な完全ディスクリート無帰還フォノイコライザーで、バランスMC入力や広帯域設計を強く意識しています。([Soul Note][1]) 一方、Yamaha C-2a は1980年前後のヤマハ高級プリアンプで、当時としては非常に優秀なMCフォノ段を持っていますが、音作りは「測定性能と整ったバランス」を重視した時代のものです。聴感上の差をかなり具体的に言うと、

| 項目        |  SOULNOTE E-1 ver.2          | Yamaha C-2a MC |

| 音場       |  前後左右に大きく広がる       | やや平面的だが定位は安定 |
| 空気感   | 非常に多い                              | やや抑制的 |
| 低域       | スピード重視                          | 密度重視 |
| 高域       | 開放的・伸びる                      | 滑らかで穏やか |
| 音色       | 生々しい                                 | 端正 |
| ダイナミクス | 大きい                            | 落ち着いている |
| ノイズ感 | 背景が深い                  | 良好だが現代ハイエンドには及ばない |

特にユーザー様がお使いの

* DS-E3
* Marantz 7
* STAX系の音を好む傾向

を考えると、E-1 ver.2の方がかなり好みに近い可能性があります。例えば弦楽器では、* C-2a → 「良質なアナログらしい厚み」* E-1 ver.2 → 「弓の毛が弦を擦る瞬間まで見える」という方向です。ピアノでは* C-2a → 音像がまとまる* E-1 ver.2 → 響板の振動が空間に放射される感じがあります。逆にE-1 ver.2が必ずしも有利でない場面もあります。古いジャズLPや1970年代ロックでは、* C-2aのほうが音が太く聴こえる * E-1 ver.2は録音の粗さまで出してしまうことがあります。たとえば Miles Davis の古い盤や、Led Zeppelin の初期盤などは、C-2aのほうが「アナログらしい楽しさ」が出る場合があります。もし現在MCカートリッジ→ ST-7→ Marantz 7 という構成なら、C-2a内蔵MC段は「よくできたヴィンテージ」ですが、E-1 ver.2は 「音楽情報量そのものが一段上」という印象になると思います。私の感覚では、**情報量差はかなり大きいですが、音楽的満足度差はレコードや好みによる** という評価です。特にユーザー様が以前話されていた* SUPEX系* オルトフォンSPU系* 真空管シングルアンプ* STAX的な空間表現を重視するなら、E-1 ver.2は「音を良くする」というより、**レコードに入っている空間情報を解放する方向** の変化として感じられると思います。[1]: https://www.soulnote.co.jp/detail_e1ver2.html?utm_source=chatgpt.com “SOULNOTE E-1 ver.2”

『無線と実験の試聴報告では SOULNOTE E-1 ver.2では光電カートリッジの普及版とMCではあまり差が無いように書かれていました』

その指摘はかなり興味深いところです。実はそれは「DS Audioの普及機が異常に良い」という意味と、「E-1 ver.2のMC入力が非常に高性能」という意味の両方が含まれていると思います。SOULNOTE自身もE-1 ver.2でかなり強調しているのは、光入力だけではなくMC/MM回路そのものを大幅改良した点です。ver.2ではMC/MM回路を簡素化し、新バイアス回路を投入して「MC/MMの音質が飛躍的に向上」と説明しています。([Soul Note][1]) ですので、* 従来の「DS Audio圧勝」
* 「MCは情報量でかなり不利」という構図ではなくなっている可能性があります。ただし試聴記事を読むときに気を付けるべき点があります。「差がない」には少なくとも3種類あります。① 音質差が本当に小さい ② 優劣ではなく方向性の差 ③ システム全体で差が縮小です。特にE-1 ver.2は光入力にもMC入力にも同じ思想の無帰還回路を投入しており、出力段も共通化されています。([Soul Note][1]) すると* 音場の出し方* 音の立ち上がり* 空気感が似た方向になります。そのため DS-E3 → E-1 ver.2 OPT と高性能MC→ E-1 ver.2 MC では、昔のような「別世界」には感じにくいと思います。ただ私なら、「差がない」というより**「光が圧倒的優位とは言えなくなった」** と解釈します。例えばDS-E3と良いMC(SPU系、上級オルトフォン、Lyra、My Sonic Labなど)を比較した場合、光電式は * トレースの軽さ* 低域の濁りの少なさ* 音場の透明感で有利です。一方MCは* 音の芯* 密度感* 楽器の実体感で有利に感じる人も多いです。ユーザー様の場合は以前のお話からすると、* STAX系* Marantz 7* 真空管シングル* SUPEX系に魅力を感じておられます。この嗜好だと実はDS-E3が必ずしも絶対優位ではありません。むしろ* DS-E3 → 空間情報* 良いMC → 音楽の肉付きという感じになり、無線と実験の試聴者が「そんなに差がない」と感じても不思議ではありません。むしろ私が注目したのは、その試聴記で差が小さいと書かれたなら、E-1 ver.2のMC段はかなり出来が良い可能性が高いということです。普通のフォノイコライザーでは、DS-E3専用イコライザーと比較すると、普及価格帯MCはかなり差が出ることが多いからです。もしその記事の* 使用MCカートリッジ* 使用トーンアーム* 使用昇圧トランスの有無が分かれば、かなり解釈が変わります。特にMCが何だったかは重要です。例えばOrtofon SPU ClassicとLyra Kleosでは、DS-E3との比較結果はかなり変わります。

『シェルター901Ⅲ MCはアンバランス入力ですね』

はい、その点はかなり重要です。[SHELTER MODEL 901/III]() は基本的に通常のMCカートリッジなので、E-1 ver.2へはアンバランス接続(一般的なトーンアーム配線)になります。出力0.5mV、内部インピーダンス15Ω程度の比較的扱いやすいロー出力MCです。 ([Vinyl Sound USA][1]) ただし面白いのは、E-1 ver.2で聴くと「アンバランスだから不利」という感じがあまりしないことです。理論的には* DS Audio光電型 → 発電コイルなし* バランスMC → コモンモードノイズに有利* 通常MCアンバランス → 最も不利のはずですが、実際の聴感では 901IIIのような良いMCは、* 音像の芯* 中低域の充実* 楽器の実体感が非常に強く、DS-E3と比べても「負けている」とは感じにくいことがあります。むしろ以前お話ししたように、ユーザー様が好まれている* Marantz 7* ST-7* SUPEX系* 真空管シングルの流れからすると、901IIIの方が「音楽が前に出る」ように感じる可能性があります。無線と実験の記事で差が小さいという話も、もし比較対象MCが901IIIクラスだったならかなり納得できます。901IIIは最近の超高解像度MCとは少し違い、メーカー自身も「情報量やディテール最優先ではなく、アナログ再生の心地よさ」と説明しています。 ([Vinyl Sound USA][1]) そのため* 光電型 → 空間・透明感* 901III → 密度・厚みという勝負になりやすいです。むしろE-1 ver.2との組み合わせで私が想像する音は、Yamaha C-2aのMC入力よりかなり* 音場が深い
* 音の立ち上がりが速い* ホールトーンが長い方向です。一方で、「ヴァイオリンの胴鳴り」「チェロの木の響き」「女性ボーカルの肉付き」は901IIIが非常に魅力的に出ると思います。ですから、無線と実験の試聴者が「DS Audio普及機と901III+E-1 ver.2で大差なし」と感じたとしても、それは901IIIの実力とE-1 ver.2のMC段の良さを示している可能性が高いと思います。[1]: https://vinylsound.com/products/shelter-901-iii-mc-cartridge?utm_source=chatgpt.com “Shelter 901 III Moving Coil Cartridge | Vinyl Sound Buffalo, NY USA – Vinyl Sound USA”

『失礼バランス入力でした』

なるほど、それなら話が少し変わってきます。SHELTER 901III自体は通常のMCカートリッジですが、E-1 ver.2ではトーンアームからの 4線をそのままXLRに導いて**フルバランス接続**できます。E-1 ver.2の設計思想からすると、むしろこちらが本命に近い使い方です。その場合、* 901III → E-1 ver.2(バランスMC)
* DS-E3 → E-1 ver.2(光入力)の比較になります。すると両者ともE-1 ver.2の最良条件に近くなり、無線と実験の記事で「大差ない」と感じられた理由が理解しやすくなります。実際、E-1 ver.2のMCバランス入力は昇圧トランスを介さず、カートリッジの+/-両端を対称に受けるため、* S/N* 音場の広がり* 微小信号再現がかなり向上します。昔の「MC+昇圧トランス vs 光電型」ではなく、「高級MCを最高条件で受けた場合 vs 光電型」の比較になっているわけです。901IIIというカートリッジの性格も重要です。901IIIは、* 極端な高解像度型* 分析的な現代MCではなく、* 密度感* 音色の美しさ* 音楽の流れを重視したタイプです。そのため、DS-E3が得意な* 透明感* 分離* 静寂感に対し、901IIIは* 実体感* 厚み
* 色彩感で応戦できます。結果として「優劣」ではなく「好み」の差になりやすいです。特にユーザー様のシステムを考えると、* Marantz 7 * 真空管シングルアンプ* STAX系の音への関心* SUPEXへの高評価という傾向がありますから、仮に目隠し試聴をしたら、必ずしもDS-E3ばかりを選ぶとは限らない気がします。むしろ弦楽四重奏や声楽では901III、大編成オーケストラやホール録音ではDS-E3、という選び方になるかもしれません。無線と実験の記事は、おそらく「光電型が圧勝すると思ったが、E-1 ver.2のバランスMC入力が予想以上に優秀で差が縮まった」というニュアンスに近いのではないかと思います。もしその試聴記の号数がお分かりなら、使用したアームや接続方法も含めて内容をもう少し詳しく検討できます。

『E-1 ver.2はMCはトランス無しでの接続ですね』

はい、その理解で正しいです。[SOULNOTE E-1 ver.2公式情報](https://www.soulnote.co.jp/detail_e1ver2.html?utm_source=chatgpt.com) によると、E-1 ver.2のMC入力はヘッドアンプ方式であり、通常のMCカートリッジは昇圧トランスなしで直接接続する設計です。したがって、**901III → E-1 ver.2(バランスMC入力)**の場合、* MCカートリッジ* トーンアーム配線* E-1 ver.2内蔵MCヘッドアンプという経路で、外部昇圧トランスは不要です。これはユーザー様がお使いの* SUPEX SD-909* オルトフォンSPU* ST-7昇圧トランスなどの世界とは少し思想が違います。古典的にはMC↓昇圧トランス↓MM入力でした。この方式の長所は* 音の厚み* エネルギー感* 自然な倍音です。一方E-1 ver.2はMC↓超低雑音ヘッドアンプ↓RIAAなので、* 帯域が広い* 位相特性が良い* 低域が締まる* 音場が広い傾向があります。興味深いのは、無線と実験の試聴でDS-E3との差が小さいという評価が出たことです。昔の高級フォノイコなら、* 光電型* MC+トランスはかなり個性が違いました。しかしE-1 ver.2はトランスを介さないため、* 音の立ち上がり* 空間表現* 微小信号の再現性が光電型に近づいています。その結果、「DS-E3が圧勝」ではなく、「901IIIの魅力も十分残っている」いう比較になったのでしょう。ただし、もし私がユーザー様のシステムで比較するなら、**E-1 ver.2のMC入力が必ずしもST-7+Marantz 7を全面的に置き換えるとは思いません。**なぜなら、* ST-7の鉄心の響き* Marantz 7の真空管回路が作る独特の厚みや色気は、最新ヘッドアンプ方式では出にくいからです。クラシックのホール感や解像度ならE-1 ver.2、声楽や弦の艶ならST-7+Marantz 7、という評価になる可能性は十分あります。むしろユーザー様の場合は、「E-1 ver.2が優れているか」よりも、**「ST-7+Marantz 7の魅力を手放してまで乗り換えたい音か」**が判断のポイントになると思います。

AOBA ED46 生地完成

ヤフオクで手に入れたAOBA ED46 16番キットの生地が完成した. 2026.5連休で仕事をした成果である. 現物は 1959年 (昭和 34 年) に日本国有鉄道 (国鉄) が製造した試作交流直流両用電気機関車であり, 後に ED92 形に改称された. もし現存すれば 67 歳であり現在の私より 1 歳若い. すでにいにしえの電気機関車であるもののデザインは古くない.

 

 

カヴァレリアルスティカーナの思い出

1996 年 9 月に第 9 回アジアオセアニア神経学会議がソウルで開催され, 参加した. 観光でソウルの南の都市の大邱 (テグ)と言うところまで電車に揺られて遠征した. 観光地のどこを回ったという具体的な記憶はないが, 写真を見れば識者には分かるかも知れない. ただ韓国の人に言わせると韓国の重要な文化財はほとんど日本軍に焼き尽くされたとの事であった. さて話題はその列車の中で聞いたメロディーである. 列車が駅に着くたびになるメロディーが美しくて印象的ですっかり記憶に残った. しかしそのオリジナルが何かは分からないままに時間が経過した. そしてその何年後の事なのかも分からないが何らかのクラシックコンサートで判明したのである. どんなコンサートであったかの記憶も記録もない. ただそのコンサートのアンコール曲でこの耳に残ったメロディーが流れてこれだと膝を打ったのである. 曲名は知らないのでコンサート会場に張り出されたアンコール曲名を確認した. それはカバレリアルスチカーナの間奏曲というのである. 手元に1 枚の CD があってそれは『カヴァレリア・ルスティカーナ』全曲 カラヤン&スカラ座、コッソット、ベルゴンツィ、他(1965 ステレオ)である. まともに全曲を聴いた事は実は一度もない. 時々思い出したようにこの間奏曲を聴く事になる. 作曲者はマスカーニという人である, この CDでは全 22 曲から成っており, 交響的間奏曲というのは第 18 曲目にある. 3 分 28 秒と短い. 韓国の列車で鳴っていたのはその最後のフレーズである. ただのチャイムであったか交響楽であったかも今は分からない. そこで AI に尋ねるとこのように出てきた. 質問は『30年前に韓国でソウルから大邱行きの列車に乗ったときに到着のときにカヴァレリアルスティカーナの間奏曲が流れていました. そうですよね』回答は『はい、かなりあり得る話です。1990年代ごろの韓国の鉄道(当時の韓国鉄道庁、現在の Korea Railroad Corporation )では、駅到着や発車時にクラシック音楽の短いフレーズが使われることが結構ありました。その中でも Cavalleria rusticana の「間奏曲(Intermezzo)」は、非常に有名で、韓国でもテレビ・駅・公共空間でよく耳にする曲でした。静かで郷愁的なので、列車到着メロディとして記憶している日本人旅行者は実際にいます。特にソウル〜大邱のような幹線では、当時はまだ「ムグンファ号」や「セマウル号」の時代で、車内放送や駅メロにクラシックを使う文化がかなりありました。ですので、「大邱到着時にカヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲が流れていた」という記憶は、かなり自然だと思います。
あの時代の韓国鉄道独特の、少し哀愁のある雰囲気ともよく合いますね。』という事ですでに 30年前の事であるがまさに郷愁を感じる.

 

すり鉢状ターンテーブルシート

you tuber の宮甚商店に導かれたアムトランスの HPで 特殊なターンテーブルシートの存在を知った. 以下にそこから引用する『かつて寺垣武氏が考案した、中心に向かい僅かな傾斜となるごく浅いすり鉢状のターンテーブルをシートとして具現化しました。スタビライザーの重量がレコードとターンテーブルシート、さらにターンテーブルを一体化させます。これによりレコード盤のゆれ・ぶれ等が抑えられ、カンチレバーに対して余計な振動を与えないため、音溝に刻まれた情報を最大限に引き出すことができます。なおかつ、レコード盤が傷まず針の消耗もほどんどなくなります。*スタビライザー(約1kg)の併用が必須となります。』この商品を直ちに欲しいなと思ったが約10万円とちいと高い. この関連商品を調べているうちに同様な商品がオヤイデから MJ-12 としてかつて販売されていた事がわかった.

 

さらにnetを調べるとヤフオクでこのコピーとして以下の商品を見つけて, 早速購入してみた. 本当にすり鉢状のテーパーになっているのか不安であったが購入後電球の反射を見るとちゃんと集光していることが分かって本当なんだと感じた. もちろんLPレコードを実際に乗せて中心にスタビライザーを載せれば1-2mmの沈み込みが分かるので本当だ. この商品は実に画期的ですばらしい. その昔ラックスマン PD300で LPレコードを真空吸引して回していた時代もあったがこればっかりはメンテナンスが長続きしない. 主だったパーツがゴムなので劣化して真空を作れなくなるのはまもなくのことである.それに比すればこの商品は純粋に物理的にアルミのスタビライザーに圧着させるのだからまちがいがないし, 恒久的である. ちなみに私の使用中のスタビライザーは死蔵していたものでマイクロの ST-20 であり net では 709g となっている.

超弩級ターンテーブル 4へ

クラシックLPの聴き方を変えた

今までは漫然とクラシックLPを聴いてきた. ジャケットぐらいは読むがほぼ斜め読みである. そして聞き慣れた知っている曲のみを繰り返し聴いてきた. 最近は少し変わった. 聴く曲に飽きがきたのだ. 従って聴くLPは今まで聴かなかった曲になっている. 高松亜衣さんが自分の演奏する楽曲の解説をしているのを見て音楽史的にもう少し網羅的に聴いて, 聴いてこなかった準名曲に光を当てようとするようになったのだ. LPは聴いていないものや繰り返しては聴いてはいないものが自分のコレクションの中に多数ある. 多くは中古であるし, 輸入レコードも多数ある. そして今や net, AIの時代である. 最近はまず手元に名曲 203選, 続名曲 203選, 吉田秀和の全集から私の音楽室 (名曲 300選), そして『古くて素敵なクラシック・レコードたち』 — 村上春樹を置いておき, LP聴きながら順に参照してゆく. 輸入レコードではまずは net で中古品の値段を見る. 持っている多くの輸入レコードが輸入クラシック LP専門店 「ベーレンプラッテ」においては5500~6600円の値段が付いているのにびっくりする. 先日は手持ちの LPに同じようなサイトで 165000円の値が付いているのを見つけて本当に驚愕した. ちなみに村上春樹の書はほぼ役に立たない. なぜか持っている LPの年代が 10年余りずれているのである. 最近の発刊なのに彼の手持ちの LPが私のそれよりも古いのである. 違う LPの評論というのは読んでもまったく心には響かないもので, まずは自分の持っている LPと同じものを論評しているかが重要だ. 吉田秀和が名曲としてあげていないのはどうしてかと言うことも気になっている. 例えばパがニー二のヴァイオリン協奏曲やサンサーンスのヴァイオリン協奏曲は 300 選には載っていない. 吉田が精神性や構築性, 音楽史的な面を重視しているらしい. こうしたことは AIに尋ねると実に多くの言葉で語られるのでこれも本当に役立つ. ちなみにサンサーンスはなぜ選ばれていないかを聞いてみた. 要約すると吉田秀和は「サン=サーンスをやや低く評価」していた. 吉田秀和はサン=サーンスを非常に器用, 完璧な職人, しかし「深い必然性」に欠けるという評価をする. 彼の価値基準では音楽の精神性, 内面的ドラマ, 歴史的転換性が重視され, そうした点では外れると言うこと. 吉田秀和の論評については AI は滅法強く, 非常に確実な回答が帰ってくるし, AI 通じた吉田の考え方は参考になる. AIは次々と新たな論点を提示してくるので飽きることなく読み進んでしまう. しかし自身の心に響く名曲であるか否かは自分が決めることなので他人の評価は気に留めることはないだろう. このようにいろいろと参照する文章があることで聞き流す以上に音楽を聴けるのは良いことで新たな自分にとっての名曲を探す過程としている.

SALVATORE ACCARDO / PAGANINI 6 VIOLIN CONCERTOS★アッカルド・パガニーニ 5LP

SALVATORE ACCARDO / PAGANINI 6 VIOLIN CONCERTOS★アッカルド・パガニーニ 5LP

シャルル・デュトワ指揮の 5 枚組 set であるが, わずか 860円で落札した. 元旦の落札のため送付されたのは1/10と遅れ, だまされたかと思った. さて, パガニーニのヴァイオリン協奏曲 2 番であるが, 有名な 3 大ないしは 4 大ヴァイオリン協奏曲と比較して優るとも劣らないと最近は考えていた.しかし, 吉田秀和著の名曲 300 選 (私の音楽室) の中にはパガニーニの記述はあるものの 24 のカプリース 1 曲しか選曲していない. 彼は他にもショパンの有名ピアノ曲やピアノ協奏曲を選んでいないので一般とは異なる偏向がある. それを AI に聞いてみた. (Chat GPT)

(質問) 吉田秀和著の名曲 300 選 (私の音楽室) の中にはパガニーニの記述はあるものの 24 のカプリース 1 曲しか選曲していない. どうしてでしょうか

とても吉田秀和らしい選択だと思います。理由は一つではなく、吉田秀和の音楽観・批評姿勢そのものに関わる複合的な理由が考えられます。


① 吉田秀和は「作品の内的必然性」を最重視した評論家だった

吉田秀和は一貫して、

  • 音楽が形式として自律しているか

  • 作曲上の必然性があり、
    「技巧が音楽そのものに不可欠な意味を持っているか」

を最重要視しました。

パガニーニの場合、

  • 卓越した超絶技巧

  • ヴィルトゥオーゾ性

  • 聴衆を驚かせる効果

が歴史的にも評価の中心ですが、吉田にとっては
技巧が前面に出すぎ、音楽の構造的必然性が希薄と映った可能性が高いのです。


② それでも「24のカプリース」から1曲は外せなかった理由

一方で、24のカプリースは例外的な存在です。

  • 単なる見せ物ではなく

  • ヴァイオリン技法の体系化

  • バッハの無伴奏作品に通じる「楽器と音楽の一体性」

を備えた作品群であり、吉田秀和も

パガニーニを単なる奇人・曲芸師として切り捨てることはできない

と考えていた節があります。

その中から1曲だけを選ぶという行為は、

  • パガニーニの歴史的意義は認める

  • しかし「名曲」として大量に並べることはしない

という、きわめて吉田的な折衷なのです。


③ 協奏曲や小品が選ばれなかった理由

パガニーニのヴァイオリン協奏曲(第1番・第2番など)や小品は、

  • 楽想の独自性より技巧効果が先行

  • オーケストラが伴奏的に従属

  • 後世の作曲家(ブラームス、ベートーヴェン等)と比べると
    形式的完成度で劣る

と見なされがちで、吉田の価値基準とは合いません。

実際、『私の音楽室』全体を見ると、

  • ベートーヴェン

  • バッハ

  • モーツァルト

  • シューベルト

  • ブラームス

といった**「形式と精神の一致」を体現した作曲家**が圧倒的に多いですね。


④ 吉田秀和の「ヴァイオリン音楽」観との関係

吉田はヴァイオリン作品についても、

  • バッハ無伴奏

  • ベートーヴェン・ブラームスのソナタ

  • モーツァルトの室内楽

を非常に高く評価する一方、

  • ヴィルトゥオーゾ作品

  • サロン的性格の強い音楽

には冷淡でした。

パガニーニは歴史的には革命的でも、
吉田の「精神史的な名曲観」には入りにくい作曲家だったのです。


⑤ まとめ(核心)

吉田秀和が『名曲300選』でパガニーニをほぼ選ばなかった理由は、

パガニーニは「音楽史上重要」だが、
吉田秀和にとっては「名曲の作曲家」ではなかった

という評価に尽きます。

ただし、
24のカプリースから1曲だけ選んだことは、

  • 完全否定ではなく

  • 歴史的・音楽的核心への最低限の敬意

を示した、非常に節度ある判断だといえるでしょう。

(質問) アッカルドの演奏によって評価は変わったでしょうか

結論から言うと、
サルヴァトーレ・アッカルドの演奏を十分に聴いたとしても、
吉田秀和のパガニーニ評価の「枠組み」自体は変わらなかった

と考えるのが自然です。
ただし、評価の書きぶり・温度は確実に変わった可能性があります。


① アッカルドは「吉田秀和の弱点」を最も突いたパガニーニ奏者

アッカルド(特に1970年代以降)のパガニーニ演奏は、

  • 超絶技巧を誇示しない

  • 音楽の流れを止めない

  • フレージングが古典的

  • テンポの誇張がない

  • 構造感が明確

という点で、
「曲芸的パガニーニ」像を根底から修正しました。

これはまさに、吉田秀和がパガニーニに感じていたであろう不満点を
演奏解釈によって封じ込めたと言えます。


② それでも「作品の格」は上がらない理由

しかし吉田秀和にとって重要なのは、

「この演奏がどれほど立派でも、
その立派さは作品の必然から来ているのか」

という一点です。

アッカルドの演奏によって、

  • カプリースが音楽として成立する

  • 協奏曲が聴きやすくなる

  • 表情が抑制され、知的に聴こえる

ようになっても、

  • 主題の発展の弱さ

  • オーケストラの従属性

  • 構成の単線性

といった作品側の限界は、吉田の耳には残ったはずです。


③ ただし「24のカプリース」の評価は、確実に一段深まった

ここが最大の変化点です。

アッカルドは、

  • 24曲を全体として構築

  • 各曲をキャラクター小品としてではなく

  • 一つの巨大な無伴奏作品として提示

しました。

吉田秀和がもしアッカルドの全曲演奏を繰り返し聴いていたなら、

  • 「技巧練習曲」という言い方は避け

  • 「20世紀に入って初めて、本来の姿が見えた作品」

といった書き方をした可能性は高いです。

つまり、

パガニーニの中で「カプリースだけは例外」

という認識は、
より強く、より明確になったでしょう。


④ 協奏曲については、評価は「改善」しても「転換」しない

アッカルドの協奏曲録音(特に第1番・第2番)では、

  • 歌心

  • 均整

  • ロマン的誇張の排除

が徹底されています。

しかし吉田秀和の語彙では、おそらく、

  • 「きわめて立派な演奏」

  • 「しかし音楽そのものは…」

という接続詞が続きます。

これは、

  • 同じく名演でも作品評価が変わらなかった
    チャイコフスキーやメンデルスゾーンの一部作品

  • あるいは、ヴィルトゥオーゾ的協奏曲全般

と同じ扱いになるでしょう。


⑤ 吉田秀和が書いたであろう一文(仮想)

あくまで想像ですが、アッカルドを聴いた後の吉田秀和なら、
こんな一文を書いても不思議ではありません。

「アッカルドのパガニーニは、
この作曲家が単なる奇人でも曲芸師でもないことを、
初めて納得させる。
しかしそれでもなお、
名曲と呼ぶべき作品はきわめて限られている。」

──まさに「1曲だけ選ぶ」ための文章です。


⑥ 結論(核心)

  • アッカルドは、吉田秀和のパガニーニ観を「洗練」させた

  • しかし
    「名曲300選」の選曲数を増やすほどの転換点にはならなかった

  • その結果が
    **「24のカプリースから1曲」**という、極端に抑制された評価

と言えるでしょう。

高松亜衣 CD「Diavolo Concerto」を聴く

高松亜衣さんの CD「Diavolo Concerto」ヴァイオリンリサイタル with オーケストラを自家用車内で繰り返し聴いている. 収録曲目は1. ヴィエニャフスキ「ファウスト」の主題による華麗なる幻想曲, 2-4.タルティーニ「悪魔のトリル」5-7. パガニーニ ヴァイオリン協奏曲第 2 番ロ短調「ラ・カンパネラ」8. パガニーニ/河野音弥 編「カプリス第 24 番」であり, 演奏は高松亜衣(ヴァイオリン)平石章人(指揮), タクティカートオーケストラ(管弦楽)収録日は 2023.12.26, 場所は杉並公会堂大ホールである. 同日の DVDも発売されているのでこれはライブ録音からの CD という事になる.  私は 45年間ほどヴァイオリン協奏曲を聞いてきたが, パガニーニのヴァイオリン協奏曲第 2 番は不思議なほど聞いてこなかった. チャイコフスキーに始まり, ベートーベン, ブラームス, シベリウス, メンデルソーンなどとお決まりの通俗的なものばかり聞いてきたからか, うっかりパガニーニは抜けていた. しかも第 3楽章のラ・カンパネラはリストのピアノ曲のことと勘違いしていたから, まったく非常識の極みである. ちなみに庄司紗矢香・ ズービン・メータ指揮の 1番は CD で持っている. パガニーニの 2 番は今, 繰り返し聴いているが聴けば聴くほどすばらしい. 三つの楽章間のバランスがとても良くとれている. どの楽章かひとつが魅力に欠けるということが協奏曲では良くあるが, これはそのようなことがない. 第 1 楽章ではチャーミングなフレーズが次々に繰り出されてくるし, ヴァイオリンの奏法もフラジオレット, スピカート, ピチカートなど多様に披露される. 亜衣さんは you tube の中でカデンツァは自身が作曲したものを使用すると言っておられたが重音が多用されたり, 第 3 楽章のテーマを小出しにしたりと, 非常にうまく書けている. 第 2 楽章のメロディーはとてつもなく美しく女性的なやさしさにあふれている. そして第 3 楽章は例のラ・カンパネラと来ているから申し分がない. 技巧的な難しさのみでなくすべてのフレーズの有機的な調和がすばらしい. チャイコフスキーのような憂愁, 情熱にはやや欠けるが, そうではなく, 古典的な様式美を感じるので, イタリアの美術品や古い建築を眺めているような感じがする. ヴィエニャフスキーはポーランドの作曲家でヴァイオリン協奏曲がよく知られており, 私も 1, 2 番をギトリスの演奏した LPを持っている. これらは旋律も親しみやすく聴きやすい曲であるが今回の幻想曲はなじみがなかった.しかし何回も聞いているうちに叙情性がある名曲と気付かされた. さてこのアルバムはバランスが良くとれている. いずれも粒ぞろいの超絶技巧を要する曲である事は間違いないし, 情緒的にどこか共通点があって, とても良く考えられたアルバムといえる. ちなみに Diavolo とは悪魔のことらしいが, ファウストは悪魔と魂の取り引きをした有名な話であり, タルティーニは悪魔のトリルという名の付いた曲が取り上げられおり, さらにパガニーニは作曲家自身が悪魔と契約していたという伝説で有名である事からこのアルバム/リサイタルにふさわしい命名になっている. 私としては彼女の演奏には何の文句もなく, すばらしいの一言につきる.

超弩級ターンテーブル 3

鬼頭師匠から頂いたターンテーブルと格闘し続けている. 中々ワウフラッターが安定しないのでどうしたらよいのか逡巡している. ゴムベルトやウレタンコードなどいろいろとまた掛け替えて試してきた. 現在使用しているのはアラミド糸の 2本でのドライブである. ゴムベルトよりはましな結果が出る理由を AI に聞いてみた.

ターンテーブルで糸ドライブが狙っている効果
1. モーターの振動・コギングをプラッターに伝えにくくする

DCモーターやステッパーモーターの微細な脈動(コギング、トルクリップル)が、
ダイレクトドライブ>ベルトドライブ>糸ドライブ
の順で弱く伝わる。

糸は幅がなく伸びやすいので、モーター側の瞬間的なトルク変動が“吸収される”。

これが「スリップ」というよりトルクを弱めてフィルター化するイメージ。

■ 糸ドライブで実際に起きている物理現象
(1) 静摩擦よりも動摩擦が若干小さい → 微少スリップは常に起きる

糸は接触面積が狭く、摩擦係数がベルトより低い。

そのため、モーター側の1回転中の極小変動は
プラッターには届かない(伝達しきらず小さな滑りになる)
という現象が起きる。

(2) プラッター側は慣性が大きい

重いプラッターの慣性が“フライホイール”となり、
短周期のスピード変動を無視する

長周期の回転ムラ(例:供給電源の50/60Hzムラ)には弱いが、
短周期のトルクリップルはほぼ無効化される。

(3) 糸はベルトより伸びが小さいため、位相遅れが減り、音の立ち上がりはシャープ

ゴムベルトより伸びは小さいため、
「緩すぎる」ベルトドライブの欠点(反応の遅さ)が軽減される。

■ 結論:
糸ドライブは「スリップそのもの」よりも「トルク伝達を弱めてモーターのムラをフィルタリングする」ことに意味がある.

という事で, モーターの回転むらは糸ドライブが最も効率よく取り除くのだ. 強く糸を掛け過ぎるとかえって悪い結果となるので, 適度なテンションが大切である. 緩すぎると針の抵抗で回転数が低下してしまう可能性もある. 最近は 0.2%台がコンスタントに出るようになった.

高松亜衣さんのリサイタルへ

2025年11月5日 名古屋熱田文化小劇場でのリサイタルに足を運んだ. あいにくの雨で私は少し早く会社を抜け出して帰宅し, 車で地下鉄池下駅まで送ってもらい, 千種駅から JR に乗り換えて 金山駅で方向を変えて 熱田駅に降り立った. 徒歩数分で劇場がある筈が中々見つからない. 図書館の横の階段が目に付かなくてそこを上っていくとホールであったが到達に戸惑った. 開演の 1 時間前には到着し, 目的のひとつであったグッズ販売で CD/DVDを計 4 枚, ファイルも購入できた. 過去, 会場には私の娘のピアノかヴァイオリンの発表会で来たことがあった. 最後部席が15席であり, 私は14席目の左端で, 4週間ほど前に購入したチケットなのでなんとか間に合ったという感じ. 当日は満席であった. 彼女の talk でどっと笑う集団が前方に占めていて, 特等席はどうやら常連さんや追っかけが占めているらしい. まあ勝手な私の思い込みだろうが. 最初の曲はヴィエニャフスキー: 華麗なるポロネーズ第1番, 2曲目, 高松亜衣: 回想曲, 3曲目 ショーソン: 詩曲. これはかなりの技巧を要する曲で高音部の表現が素晴らしかった. 4曲目 ヴィエニャフスキー: 伝説曲 5曲目, ブラームス:ヴァイオリンソナタ第1番 であった. まあ全体を通じて私の体調が今ひとつで何か夢を見て帰ってきたという感じ. 加齢で椅子にじっと掛けて, 身じろぎせずにいるのが苦痛と感じた. 彼女の演奏 DVD を手に入れたので PC の前で貧乏揺すりをしながら鑑賞するのが楽でよろしい. You tube を見せて頂いていると彼女のファン達はアイドル視しているので, 会場ではお客さんが演奏者の名前を呼んだりする場面があるのではといぶかっていたが, 実におとなしいものでそんな危惧は不要であったし, 演奏終了後の拍手の間合いも十分にあり, お客さんは間違いなくクラシック音楽愛好家なのだと直感した. ブラボ (バ)ーコールはなくて, ウオッというような声が二声上がっただけであった. ちなみに私自身は十分アイドルの推し活のつもりで参加していた. なんともいえない彼女の「あいまい talk」とそれとは裏腹な「超絶技巧ヴァイオリン」を同時に生で聞けて感激であった.