論文を書くには
臨床研究を論文にするには通過しなければならない関門が多数ある. 審査の前提に研究者は研究倫理に関する講習を受けている必要がある. CITI のやっている e-learning APRIN というのである. これは結構な時間がとられる. 世の中には色々悪巧みをしてインチキな論文を書く人がいるのでこういう教育は必要なのだ. それを前提に研究計画調書, 研究倫理調書, 利益相反調書などが課せられる. 多少文言は間違っているかも知れないが. 研究計画は一度提出すると変更がきかないという前提があるのでこれらの書類を作成するときには研究計画がきちっとできていないといけないし患者の数なども書くのである程度研究自体が進行していないといけない. 患者さんのデータを使用して論文を作成するには患者さん個人の承諾が必要である. 薬剤の治験では書類で患者さんに承諾と署名を頂くが, 研究でも同じ事. 十分な研究計画に基づかない多数例の後ろ向き研究では承諾を得ておらず論文にはできないんだとあきらめがちだが何とものすごい裏技がある. opt-out という方法である. 一定期間にこの施設である疾患で受診した方の内このような基準を満たした場合に研究に繰り込んだ結果このような研究論文になったが何かご意見がありますかという文章を net 上に公開するのである. まあほとんど異論を唱えられることはなかろう. こうしたことが必要なのは論文は必ず何らかの組織による倫理審査を受けたという文言が必要であり,それがないとそもそも投稿ができないのだ. 実は症例報告にはこの倫理審査が不要という考え方があって, 倫理審査については not applicable で通している文献もある. さてこのようなことを大変手間かけてやっている内に論文はある程度書き進むが, 日本語で書くのが無難である. 英語にはそのあとで変換すれば良い. 私なら deepL に任せる. 一文ずつ訳すが, 訳が気に入らなければ直すのは日本語である. 英文が適切かどうかが分からない人にはお勧めできない, 英文をある程度読んできた古参医師に任せた方が良い. 投稿先は最も困るが最低でも PubMed に載っているのが良い. Impact factor にはあまりこだわらない方が良い. ところでこの文章はどこが負のスパイラルかおわかりだろうか. このように労力を費やし複雑なプロセスを経て論文として結実したものの一体このような事がわが人生にとってどれほど有益なものであったかと考えたのだ. 少なくともこのような努力をいくつかした結果私は完全に燃え尽きて, このようなことはもう二度としたくないという気持ちに陥ったのである. 負のスパイラル 1 の私の健康が少々損なわれ事も多いに加担している. とにかく自分の健康が最も大事, 次には家族が大事.