最初の輸入電気機関車は EC 40 ?, 最初の国産電気機関車は?..などと電気機関車の歴史には様々な切口がある. 嚆矢(こうし)と言う言葉があり, 物事の始まりを意味するらしい. 様々な文章で, 「日本における電気機関車の導入例は, 足尾銅山において1891年[1]に電気機関車を走らせたのが嚆矢とされている.」といった記述を見かける. Rail Magazine 39 (1987) p58 には黎明期の電気機関車という西 裕之氏の文章があり, この点が詳しく書かれてあった. 明治 28 年に東京で内国観業博覧会というのが開催され, ブリル社製のスプレーグ式電車 2 両が会場内で運転され市民が試乗したとのこと. その翌年 (明治29, 1896年) には足尾銅山で電気鉄道が坑外運搬を行ったことを古河鉱業操業100年史, P133, 昭和51.3 から引用し, 実用的電気鉄道はこれが最初に間違いはないであろうとしている. 同論説によると銅山の電気技師の宮原熊三が中心となってGE (ゼネラルエレクトリック社) 製品の輸入一手販売権を持っていた岩垂邦彦 (後に日本電気を設立した) から入手した GE 製電気機関車の図面を模倣して足尾銅山工作課が製作したという国産電気機関車であった. もしこれが本当であれば国産初の電気機関車はアプト式よりはむしろこちらということもいえる. ちなみに足尾銅山のその後の車両は電化にも寄与したジーメンス・ハルスケである. 最初の電気機関車の形態はその後のマイニングロコに見られるような L 字型ないしはその変型と思われる. 我々の中国のことを知的財産権を犯しがちなものまね国家とレッテルを貼っているが, 日本と同じ歴史をたどっているだけなのかも.