脳神経内科は一定数の人員が必要なわけ

某病院の脳神経内科部長さんは新たに病院に脳神経内科を作るには一定の人員が必要だと仰っていた. 私はしばらく現在の病院に一人で赴任していたが今年の春からもう一人加わっていただきようやく複数での体制ができた. 先日40代で全身を強直させるという症状の方が見えたがさっぱり診断がつかなかった. 翌日に相方の先生に一度診察をお願いしますというとまもなく破傷風ではないかという回答があり, そうだその病気に違いないと合点がいった. 患者は口が開けづらいとは言われなかったのであまり疑わなかった. 症状はあたかも意識がある痙攣のような症状であった.ただし背部は仰け反らせるような感じはしていた. 考えてもみると40年余の臨床で自分の病棟で破傷風を診療した経験は無かった. 自分で診療したことのない病気はしばしば診断できない. 脳神経内科はそういうものだ. われわれは全国の学会員が一堂に会する全国学会と別に年3回各地域での小規模な学会がありこれは地方会と呼ばれている. この小規模な会では症例報告が多いのだが非常に珍しいものが 多い. 経験したことがないような病名が必ずある. 神経内科は非常に多くの病気がありしかもバリエーションが広いので一人の脳神経内科医師が経験できる病気の種類も症例数も限られる. 従って何人かの医師が揃っている方が診断がつきやすいし, 相談して治療方針も決められやすい.

負のスパイラル 8

まとめる能力

いつからか文章などをまとめることが苦手になってきた. 私の認知障害によるものか否か不詳だが. 頭のいい人というのはある意味まとめることが上手であることかも知れない. 現在は情報量がやたら多いのでそれを取捨選択, 整理, 順位付けしてまとめる, しかもすばやくする能力が要求される. 前にも述べたが私は症例報告というのをある程度してきた. 症例報告が採択されるには狭い範囲のことではあるが十分情報を集めた上で批判されないように予防線を張り巡らして考察を書けば良いはずだ. 私の場合その結果どうなるかというと, 考察がやたら長い文章になってしまうのだ. IM という journal は症例報告に長さの上限がないので長過ぎるを理由に reject されることはない. さて, われわれ英文を苦手とするが, 文章が長くなると一目みてどこになにを書いたかがわかりにくいのである. 邦文では漢字などがアイコンになってマーカーになる. 英文では同じ事を異なる場所に 2 回書いても気付かぬという失敗もする. 英文を自在に操って論文を書くのは相当な努力となんと言っても motivation が必要だ. 話は戻って, 一流英文雑誌の症例報告は概して短く, うまくまとめる能力が要求される.

2017年 Parkinson氏へのオマージュ: 新型打腱器

1817年にロンドンの医師 James Parkinson氏が 「An Essay on the  Shaking Palsy」というtitle の論文を発表しました.その後今日まで200年が経過. その間のParkinson病研究の進歩には目を見張るものがあります. しかし患者さんの症状は200年で進歩したり変化したりしたでしょうか. きっと変わっていないと思います.

神経内科では打腱器を用いて, ないしは針や刷毛と言う原始的な小道具を用いて診療をします. ではその道具は進歩したでしょうか. あまり進歩していないしないしは進歩する必要もないのかも知れません. しかし私は常に携行しうるall in one の診療道具を探してきました. これらの道具を用いた診療は200年変わることがありません. 外来でも病棟でも手軽にポケットから取り出して使用できるよい道具がなければ神経の診断は出来ません. 私はとうとう理想的なものを自分で製作することにしたのです. Parkinson 氏へのオマージュを込めてこの打腱器を新発売します.

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