クラシックLPの聴き方が変わった

今までは漫然とクラシックLPを聴いてきた. ジャケットぐらいは読むがほぼ斜め読みである. そして聞き慣れた知っている曲のみを繰り返し聴いてきた. 最近は少し変わった. 飽きたのだ. 従って聴くLPは今まで聴かなかった曲になっている. 高松亜衣さんが自分の演奏する楽曲を紹介されているのを見て音楽史的にもう少し網羅的に聴いて, 聴いてこなかった準名曲に光を当てようとするようになったのだ. LPは聴いていないものや繰り返しては聴いてはいないものが自分のコレクションの中に多数ある. 多くは中古であるし, 輸入レコードも多数ある. そして今や net, AIの時代である. 最近はまず手元に名曲 203選, 続名曲 203選, 吉田秀和の全集から私の音楽室 (名曲 300選), そして『古くて素敵なクラシック・レコードたち』 — 村上春樹を置いておき, LP聴きながら順に参照してゆく. 輸入レコードではまずは net で中古品の値段を見る. 持っている多くの輸入レコードが輸入クラシック LP専門店 「ベーレンプラッテ」においては5500~6600円の値段が付いているのにびっくりする. 先日は手持ちの LPに同じようなサイトで 165000円の値が付いているのを見つけて本当に驚愕した. ちなみに村上春樹の書はほぼ役に立たない. なぜか持っている LPの年代が 10年余りずれているのである. 最近の発刊なのに彼の手持ちの LPが私のそれよりも古いのである. 違う LPの評論というのは読んでもまったく心には響かないもので, まずは自分の持っている LPと同じものを論評しているかが重要だ. 吉田秀和が名曲としてあげていないのはどうしてかと言うことも気になっている. 例えばパがニー二のヴァイオリン協奏曲やサンサーンスのヴァイオリン協奏曲は 300 選には載っていない. 吉田が精神性や構築性, 音楽史的な面を重視しているらしい. こうしたことは AIに尋ねると実に多くの言葉で語られるのでこれも本当に役立つ. ちなみにサンサーンスはなぜ選ばれていないかを聞いてみた. 要約すると吉田秀和は「サン=サーンスをやや低く評価」していた. 吉田秀和はサン=サーンスを非常に器用, 完璧な職人, しかし「深い必然性」に欠けるという評価をする. 彼の価値基準では音楽の精神性, 内面的ドラマ, 歴史的転換性が重視され, そうした点では外れると言うこと. 吉田秀和の論評については AI は滅法強く, 非常に確実な回答が帰ってくるし, AI 通じた吉田の考え方は参考になる. AIは次々と新たな論点を提示してくるので飽きることなく読み進んでしまう. しかし自身の心に響く名曲であるか否かは自分が決めることなので他人の評価は気に留めることはないだろう. このようにいろいろと参照する文章があることで聞き流す以上に音楽を聴けるのは良いことで新たな自分にとっての名曲を探す過程としている.

高松亜衣 CD「Diavolo Concerto」を聴く

高松亜衣さんの CD「Diavolo Concerto」ヴァイオリンリサイタル with オーケストラを自家用車内で繰り返し聴いている. 収録曲目は1. ヴィエニャフスキ「ファウスト」の主題による華麗なる幻想曲, 2-4.タルティーニ「悪魔のトリル」5-7. パガニーニ ヴァイオリン協奏曲第 2 番ロ短調「ラ・カンパネラ」8. パガニーニ/河野音弥 編「カプリス第 24 番」であり, 演奏は高松亜衣(ヴァイオリン)平石章人(指揮), タクティカートオーケストラ(管弦楽)収録日は 2023.12.26, 場所は杉並公会堂大ホールである. 同日の DVDも発売されているのでこれはライブ録音からの CD という事になる.  私は 45年間ほどヴァイオリン協奏曲を聞いてきたが, パガニーニのヴァイオリン協奏曲第 2 番は不思議なほど聞いてこなかった. チャイコフスキーに始まり, ベートーベン, ブラームス, シベリウス, メンデルソーンなどとお決まりの通俗的なものばかり聞いてきたからか, うっかりパガニーニは抜けていた. しかも第 3楽章のラ・カンパネラはリストのピアノ曲のことと勘違いしていたから, まったく非常識の極みである. ちなみに庄司紗矢香・ ズービン・メータ指揮の 1番は CD で持っている. パガニーニの 2 番は今, 繰り返し聴いているが聴けば聴くほどすばらしい. 三つの楽章間のバランスがとても良くとれている. どの楽章かひとつが魅力に欠けるということが協奏曲では良くあるが, これはそのようなことがない. 第 1 楽章ではチャーミングなフレーズが次々に繰り出されてくるし, ヴァイオリンの奏法もフラジオレット, スピカート, ピチカートなど多様に披露される. 亜衣さんは you tube の中でカデンツァは自身が作曲したものを使用すると言っておられたが重音が多用されたり, 第 3 楽章のテーマを小出しにしたりと, 非常にうまく書けている. 第 2 楽章のメロディーはとてつもなく美しく女性的なやさしさにあふれている. そして第 3 楽章は例のラ・カンパネラと来ているから申し分がない. 技巧的な難しさのみでなくすべてのフレーズの有機的な調和がすばらしい. チャイコフスキーのような憂愁, 情熱にはやや欠けるが, そうではなく, 古典的な様式美を感じるので, イタリアの美術品や古い建築を眺めているような感じがする. ヴィエニャフスキーはポーランドの作曲家でヴァイオリン協奏曲がよく知られており, 私も 1, 2 番をギトリスの演奏した LPを持っている. これらは旋律も親しみやすく聴きやすい曲であるが今回の幻想曲はなじみがなかった.しかし何回も聞いているうちに叙情性がある名曲と気付かされた. さてこのアルバムはバランスが良くとれている. いずれも粒ぞろいの超絶技巧を要する曲である事は間違いないし, 情緒的にどこか共通点があって, とても良く考えられたアルバムといえる. ちなみに Diavolo とは悪魔のことらしいが, ファウストは悪魔と魂の取り引きをした有名な話であり, タルティーニは悪魔のトリルという名の付いた曲が取り上げられおり, さらにパガニーニは作曲家自身が悪魔と契約していたという伝説で有名である事からこのアルバム/リサイタルにふさわしい命名になっている. 私としては彼女の演奏には何の文句もなく, すばらしいの一言につきる.

高松亜衣さんを知る

ヴィオッティーからパガニーニのつながりでネットを検索していたら高松亜衣さんを知った. お茶目なヴァイオリニストである. 私は現在, 愛知県一宮市で仕事をしているが偶然にも彼女は一宮市出身であり, 名古屋市立菊里高等学校の音楽科から東京藝大に進んでいる. 私はその菊里高校の普通科卒業であり, 菊里の音楽科出身者は身近に感じるのだ. you tube などの SNS に存分に自身の violin 演奏を流しているので, 実力のほどもうかがい知ることができる. 演奏が終了したあとに伴奏者の方にひょいと振り返る様が非常にお茶目でかわいらしい. 演奏の多くが名曲でありとても親しみやすく, 当分これらの you tube への発信を楽しませていただく.

タウとタオの関係を AI に問う

神経病理学のタウと中国のタオという概念の関係性についてAIで調べた

神経病理学で語られる「タウ(tau)」は、脳内の微小管結合タンパク質で、多くの神経変性疾患、特にアルツハイマー病や前頭側頭型認知症(FTD)における病理的な蓄積・変化が研究されています。一方、中国哲学・宗教における「タオ(道)」は、老子の『道徳経』などで説かれる、宇宙や人の生き方の根本原理を指す概念です。

両者の直接的な関係性

タウ(tau)とタオ(道)は、語源や発音が似ていますが、科学的・哲学的な意味内容や起源には直接の関連はありません。神経病理学の「タウ」は、生化学・分子生物学の用語で、タンパク質名(mapt遺伝子由来)です。一方、「タオ」は東洋思想、特に道教哲学における「宇宙の原理」「自然の道」を指す抽象概念です。

文化的な連想・語感

西洋では「tau」はギリシャ文字の「Τ/τ」としても一般的ですが、語感の類似や偶然による文化的な連想以外に医学的・哲学的な結びつきはありません。

その他の参考

仮に両者を比喩的に関連づけるとすれば、タウの蓄積による神経症状の変化や「疾患進行」の不可逆性を「自然の道」や「不可解な摂理」として哲学的に捉える試みは、文学的・思索的な領域に留まり、科学的根拠はありません。

要点: 神経病理学の「タウ」と中国思想の「タオ」は、科学的・歴史的・意味的には無関係。両者の語感や発音は似ているが、内容・文脈は全く異なる。

タウの「もつれ」が比喩として道教思想でどう解釈できるか探る

タウの「もつれ」(神経原線維変化)は、分子レベルの現象として神経細胞内で異常な蓄積と混乱を生じさせ、情報伝達や安定性を失わせるものです。この「もつれ」という状態を道教思想の観点で比喩的に解釈する試みは、直接的な伝統解釈では行われていませんが、比喩としてはいくつかの道教的要素との関連づけが可能です。

比喩としての解釈案

道教の「自然の道」は、宇宙や生命現象が流れるように自然本来の秩序に従うあり方を重視します。「もつれ」はこの流れや秩序が乱れ、滞り、歪み、絡まることを象徴しており、道(タオ)が妨げられ、不自然・不調和な状態に陥ることの比喩となるでしょう。例えば「人為的な心(作為)」や「無理な欲望」は、道教において「道」から外れる原因となり、不調和・行き詰まり(もつれ)を招くものとされます。

神経病理学との接点

タウの「もつれ」発生=「道」から外れた神経細胞の運命。「本来の機能流」→「混乱と衰退」へ。​道教思想では、これを「無為自然」(本来の流れへ戻す)と対比可能。解きほぐすことで調和が回復し、混乱が    晴れるイメージ。

中国思想的な比喩例

「絡まり・もつれ」は、気や道が停滞・閉塞する状態を意味する比喩としてよく使われます。 このもつれを「ほぐす」「流す」ことが、道教・中医学の治療的観点で「治癒」「バランス回復」の象徴となります。

概要

タウの「もつれ」は「自然な流れが乱れる、道がふさがれる」という道教的比喩で解釈できる。解きほぐし=道(タオ)への回帰、調和と健康への復帰という象徴。

猛暑の中の LP レコード

今年の夏も異常な暑さであった. 名古屋も 50 日あまりの連続猛暑記録を作ってようやく今日はましになった. わがホビールーム兼オーディオルームは小屋裏がなく, いわば屋根裏部屋である. スレート瓦に防水紙の下は構造用合板しか日光を遮る材料はない. この部屋の夏の暑さは尋常ではない.実際に室温を測定したことはないが 40℃越は間違いない. 下手すれば50℃かも. すると塩化ビニールのLP レコードの耐熱温度に近づくことも間違いない. 私のLPレコードは 7割方はここに置いてある. 連日の猛暑でこの部屋には数ヶ月間入っていない. 窓はジャロジーというやつでレースカーテンが掛けてあるが常時4割ほど開口してある. 本日恐る恐るここに入っていくつかの LP レコードを手に取ってみる. どうやらどうもなっていないらしい. 反ったり湾曲しているのではないかという妄想にとらわれていたが大丈夫だ. 極端に反ったLP を中古で手に入れたことがあるが直射日光が当たるとか特殊な環境でしか変形はしないのかも知れない. しかしこの確認はどうやら毎年繰り返している気がする.

超弩級ターンテーブル奮戦記 2

鬼頭氏から超弩級ターンテーブルを頂いて 2 年以上が経過. ようやく重い腰を上げてターンテーブルの下部に円盤 (フライホイール) を追加する作業を終えることができた. 取り付け作業は私一人では不可能であり, 家人に手伝ってもらった. 取り付けたのは真鍮製で 10kg 以上ある. ターンテーブルだけでは回転むらがひどく, 実際実用的ではなかった. 最後に測定したときには wow 0.6% ほどで, ピアノの緩徐奏は聞くに堪えなかった.

これで今まで最高の wow 0.14%が記録された. この恒常性を願う.

スタックス社 CP-Y と ECP-1 (専用イコライザー)の夢

スタックス社 CP-Y は静電式カートリッジであり, これを動かすには ECP-1という専用イコライザーが必要である. これらをネットで検索すると中古品や記事が出てくるので現在でも伝説的人気があるようだ. 私は本体を売ってしまったが ECP-1 は死蔵している. バッテリーの寿命がきたと考えて充電池を替えたのだが稼働せず, 接続ミスかと考えてそのまま放置. その ECP-1の不動品が中古で出ていて, 購入すれば正しい結線は分かるため 2 台合わせれば稼働しないかと考えて購入を考慮した. というのは一方で off moll を検索すると保証付きの CP-Y が売りに出ていたからだ. ECP-1 の方はジャンク 品で格安であった. もし購入すればスタックス CP-Y の美音が再び楽しめるかも知れない. しかし稼働しなかったときには数万円の損失で悩みどころだ. これらの装置は実際にどう使用するかというとメインアンプに直接か, プリアンプのライン入力に繋ぐことになる. フォノイコライザーの役割は ECP-1 の中にある石の電子回路がすべて果たすわけだ. と言うわけなのでこの CP-Y の熱狂的なファンはプリアンプに対するこだわりは持ちようがない. マランツ 7 の回路を3つも自作してきた私にとってこれは考え物である.  マランツ 7 のフォノイコライザーの生かし甲斐がないのだ. むしろ LP を再生する道具としては対立するものだ. ところで CP-Y, ECP-1 はどんな音がしたのか. 繊細で高音ののびがすばらしいというイメージである. 先輩のお宅で氏自慢のカートリッジと比較試聴した記憶がある. ただしこの時から当方の機械は調子は良くなかったが. 先輩は私の方が優れた音がするとは認めなかった. 日頃真空管の音がすばらしいと信じ切っているくせに CP-Y とそのイコライザーである ECP-1 となると回路が石であるにもかかわらず応援してしまうはどうなのだろう. 時々ノスタルジーを感じて CP-Y をネット検索するのはぼちぼち止めないとと思う. しかし, 安定した品質の静電式カートリッジをどこかのメーカが発売していただけないだろうか. フォノイコライザーは各社でているのだからそれを使用することを前提とした製品を是非とも.

マランツ 7 レプリカのレストア

今までにマランツ 7の セミコピーを 2 台製作してきた. 今回は同機のレプリカと思われるもののジャンクを手に入れたので, 足りない部品を補い, 真空管基板を自作しレストアを試みている. 回路図頼りの再配線が大変であった.

以上が購入時の状態で最も面倒な端子とセレクター間の結線がほとんど残っていたのでありがたかった. また電源は幸いにもブリッジダイオードのハンダの手直しをするだけでよみがえった. 製作中にフォノが発振し配線の誤りを見つけるのに1ヶ月掛かりであった.

完成は 2025.04.16

マランツ 7 レプリカのレストア詳細記事へ

3 ナンバー車, SUV

SUV とか RV 車というのだろうか. やたらボリュームのある大きな車が増えているように思う. 従来のセダン車が余り売れていないからかも知れない. 実は私も大きすぎない 3ナンバーセダン車に乗っているが高速道路使用の通勤用で, 町中で4人までであれば 5 ナンバー車に乗っている. 日本は道幅が狭く市街地では 3ナンバー車がすれ違うにはギリギリの道が多い. 対向車がセンターを超えて走ってきている場合には戦々恐々で一生懸命脇に寄せる. 当方が5ナンバーであれば相手方の3ナンバーはしばしば我がもの顔でセンターに寄せてきて平気なので, 小さい車はなめられるなあと憤ってしまう. 大きい車と小さい車の話をすると, 軽乗用車の安全性であるが netによると「事故全体の死亡率は、軽自動車が0.26%、普通自動車は0.22%であり、車両同士がぶつかる相互事故の場合、軽自動車0.22%、普通自動車0.19%です。全体と相互事故、ともに軽自動車のほうが死亡率は高いですが、それほど大きな差ではありません。 相互事故で軽自動車の死亡率が高いのは、車体の軽さが原因です。車同士がぶつかると大きな衝撃を生み、軽いほうが飛ばされ、大きく損傷します。同じスピードでぶつかった場合でも、外からの力の影響を受けやすいのは重量の軽い軽自動車のため、相互事故には特に注意しなければなりません。」となっている. また軽乗用車のほうがブレーキの制動距離が短いなどの逆に安全性が高い面もあるという. 物理学的に重い車と軽い車が衝突した際に中にいる人にかかる G は軽い車のほうが大きい. これは極端な場合を考えれば容易に理解できる. 従ってSUVのような重量のある車に乗ってできるだけ安全性を確保したいという気持ちは誰にもあるかも知れない. しかし逆にこの世に軽乗用車が存在する限り, 衝突事故で軽乗用車に乗っている人の生命を脅かす可能性がある事も考慮に値する. 軽同士では両者が助かるが, そうでないと軽のみが生命を脅かされると言うことがあり得るのだ. 軽同士の衝突事故とダンプと軽の衝突事故を比較して想像するべきだ. 軽乗用車にはより高い安全性能が求められ, 重い車両は必要以上に増えて欲しくないものだ.

給湯管の水漏れ

水道メータ検針員からどこかに水漏れがある事を指摘された. 水道局から人が来て, 給湯器周辺らしいまではわかったがそれ以上は突き止めてくれなかった. 近所の業者を当たってみたがあまり良い返事が得られなかった. 水道局に電話して手っ取り早く業者を紹介してくれと頼んだら教えてくださったのでそこに修理依頼することにした. 検査結果はエコキュートを出たあとの温水管からの漏れであるがバスタブ付近の縁の下らしい. そこを同定することは出来なさそうで, 配管が銅管なのでどちらにしろ新しい配管に置き換えなければいけないとからエコキュートを出たところから3カ所の配管をすべて引き直すことになった. 具体的には, 風呂, 1 階台所, 2 階洗面ということ. 風呂だけは多分すべての銅管部分が置き換わり,その他は部分的交換である. 手が入らないところがあって交換できないのである. 家の構造は木造ツーバイフォーであるが木質パネルの中を通過している銅管をすべて取り替えるのが容易でないことは容易に推察できる. 最後にエコキュートを取り替えたとき, 取説に注意事項としてバスタブにみどりの線が入るのは配管が銅で出来ている場合であると書かれてあった. この注意書きが今ひとつ説明が足らないなと思うのは, 現在新たには銅は用いられない事, 銅が腐食されやすい材料であるという 2 点である. 銅配管を換えたのでみどりの線は入らなくなっただろうと注視しているが, 確かに以前ほどは色が着かなくなった. 銅というのは腐食されて錆びてしまえばそれ以上溶出してこないと思われるが年月が経過するとみどり色の物質が出てくるのだ. 緑青がいつまでも溶け出てくると言うことなのか. 修理費用は約 20 万であったが大変な工事であった.