左手のピアニストから

先日放映された「私は左手のピアニスト」には非常に感動した. 大阪府箕面市において 2018年11月2~4日に開催された「第1回 ウィトゲンシュタイン記念 左手のピアノ国際コンクール」に参加されたピアニスト達の人間模様を取材したもので, 上位入賞者のみでなく, 障害の中から一縷の希望を見つけ, 左手のピアニストとしてコンクールに初参加された方にも光を当て, 皆さんの生き様に大変な勇気を頂いた. そもそも左手のピアニスト達は何らかの問題を右手に抱えている人たち, ないしは左手だけでどこまで表現できるか挑戦しようとする方々であり, 障害を抱える, 否たとえ障害が無かろうとも頑張っていく人たちのものすごいぎりぎりの生き様を見せてくれたのだ. 優勝した方はどうやら右手のジストニア(不随意運動の一種)かな? と私は思った. ピアニストなど演奏家のジストニアは書痙と同じような現象で, 非常に繊細な動きを繰り返した結果, 大脳の運動プログラムが壊れてしまった状態なのだ. いわば熱心さと勤勉さのあまりの過剰な練習により皮肉にも身体をこわしてしまった状態である. 2位の方はアジア出身の方でしたが彼はホーキング博士の「生きている限り希望はある」という言葉を引用して喜びを表現していました. ホーキング博士が絶望的な病のなかであそこまで学問を極めた姿にご自分を投影しているのに感動しました. さてジストニア研究の尊敬する目崎先生から, ラベルの左手のための協奏曲は第一次世界大戦で右腕を失ったウィトゲンシュタインのために作曲したのだという逸話を伺っていました. しばらくしてこのウィトゲンシュタインはかの哲学者のウィトゲンシュタンとどのような関係であったか混乱しており, net で調べてみました. 2人は兄弟であり, 兄がピアニスト, 弟が哲学者と判明しました. 姉もおりまして, クリムトの描いた肖像画のモデルになっております. パウル・ヴィトゲンシュタイン【Paul Wittgenstein】 がそのピアニストであり  1887年5月11日 生まれ, 弟は有名な論理哲学論考を書いたルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン【Ludwig Wittgenstein】 1889年4月26日生まれ. 姉はマルガレーテ・ストロンボロ=ウィトゲンシュタイン【 Margarethe Stonborough-Wittgenstein】 である. この3兄弟はウィーンの実業家でクリムトのパトロンでもあったカール・ウィトゲンシュタインの子供達と言うことらしい. なるほど, 確か ルートヴィッヒはこの姉の家の設計をしている. 哲学ばかりか建築設計も出来るのはすごいと若い頃に感動した事を記憶している. 驚くべきことにこのパウル・ヴィトゲンシュタインさんの演奏はnetで聞く事ができた.

Marantz M-CR611 ネットワークCDレシーバー その2

この機械が調子の悪いことは既に書きましたが,その後も WiFi につながらなくなったりぷっつんと音が途切れてしまうことが継続しています. 最近再度WiFiにつながらなくなりnet に出ていた方法を試し, 電源コードを抜いて, 電源スイッチを数回カチカチ, 30秒間ほどおいて再度電源コードをつなぎ, スイッチを入れます. 不思議にこれで復活しました. 考えて見ると起動が怪しくなったPCを直すのと同じ手順で, この手の機械は家電ではなくPCと思えば良いことに気づきました. またこのリセットは気長にやらないとだめで, 静電気やキャパシター, メモリーなどの問題があるようなのです. 確かにこのようなことをしないと使えない機械というのもちょっとですね. さて復活で気をよくして, 新たにリッピングしたCD からの wav dataを NAS に入れてみました. 残念ながらその data をレシーバーはすぐには認識しないのです. 一般的なPC世界の常識がこの機械にはまったく通じません. 読み込みでindexされたdataを経時的に更新する機能が無いようなのです. real timeでは作動していないと考えたらよいのでしょうか. 電源を切って再度立ち上げることでようやく認識できました. そのようなことをするのはどうも面倒で, 不便な機械と言えます. この機械を購入してPC audioから遠ざかり気味なのはこうした不確実性によります.

アルハラとアルコール依存症

私はアルコールが飲めないたちであるが若い頃には多少鍛えればという気持ちもあって無理につきあった経験がある. 結果がよいもので無かったことはいうまでもない. その後は酔っぱらい達の醜態に不快感を抱くことが多く, 当方は被害的になっているのでいろいろなアルコール酩酊者に対して, 関われば自分はアルハラをされたという気持ちがわく. さて私は神経内科を専攻しており, アルコール依存症の患者さんを診ざるを得ない.彼らは基本的に医療者には嫌われるので神経内科医師に限ったことではなく困らされることが多い. 患者は自分が飲んだアルコールで人に迷惑を及ぼしているという感覚をそもそも持ち合わせていない. アルコールに対する寛容な社会構造が根強く日本にはあるらしく, 仕方がないんじゃないか大目に見てやれという風潮にかき消されている. 彼らは内科病棟に入院せざるを得ない状況に陥るが慢性の重症者では何らかの離脱症状を呈する. 離脱症状は全身痙攣を筆頭に種々の精神神経症状である. 内科病棟は女性の看護師さんが多く, 彼女達に迷惑をかけるわけにはいかないために種々の薬物を用いて精神神経症状を抑えようとするが限界がある. 完全に眠った状態にしてしまえば本格的な栄養管理を要する上に沈下性誤嚥性肺炎の原因にもなるのでそこまではしないのだ. 多少は元に戻ったときには彼らは自分は何ともないから家に帰ると言い出すだろう, 看護師に暴力をふるうことも当然あり, われわれに向かっては敵意をあらわにするだろう. そうして急性期を乗り切って退院しても精神科のある病院へ転院しなければ戻ってくることが多いし, 精神科への受診を拒む. 当科で診るのが当たり前だと考えているらしいし, だいたい悪びれもせずに感謝の気持ちを感じていないことが多い. 医療者に対してお世話になりましたという真摯な気持ちを抱くことがない. このような方の面倒を見る医療者は非常に精神的に我慢を強いられるのである. 長く見ていてもそれなりに自分が悪いのだという深層心理すら有していないものもいる. 私は最近ようやくアルコールを飲んだあなた自身に責任があると言うことをある程度はっきりと伝えられるようになってきた. 私自身も歳くって患者より年齢が高くなったことも関連している. すると意外にもちゃんと自覚していることもわかる. 患者はそれはわかっているけどどうしようもないんだろうと言うところを理解して欲しいと思っていることもある. 日本人は痛いところを突くことをお互いにしないようにしようという精神風土があるのかもしれない.  しかし基本的に私はアルコール症者と気持ちを通わせることはできない. アルコールが飲めないが故にハラスメントにあってきたという私がアルコールを飲める彼らに強い反感を持つのはある程度当然では.   アルコールによってついてしまった脳神経系統への傷は神経内科医が治し, 依存症及び傷ついた精神は精神科が治すという構造はそもそもまちがっている. 精神科が今でも精神神経科と名乗るのであればアルコール依存症は a からzまで見て欲しい. これらアルコール依存症の患者から受ける嫌な感覚は私はアルハラの一種と感じており, アルコールが飲めない医師がアルコール症者を診療することには強い抵抗感があることを社会に訴えたい.

 

 

複合技能士章受章者妹尾さんに塗装の極意を聞く

妹尾さんは自分の鉄工板金工場(KS テクニカルサービス)で息子さんと共に溶接ロボットを使って仕事をされている.私が模型の塗装で悩んでいるというと,自分は複合技能士で知事から賞もらっているよと前置きし,教えてくれた.1級技能士の試験では何ミクロンという塗装の厚さで,塗装技術を試される.上下方向と左右方向に均一に,そして液だれする直前で止めるのが極意であると.これは本当にコツの中のコツであり,このとうりすれば素人塗装もまあまあとなる.

その後実際にその受章を持ってきていただいたので早速撮影させていただいた.

妹尾 勲さんは種々病で当院へ通院中.

プラスチックケースにしまうとこのようになる.

ピンバッジは1級技能士を示す

メダルの裏はこうなっている.

ピンバッジの裏はこのように1級技能士を示す.彼はこれを3つ持って見えるので複合技能士となる.

 

難病施策の混沌

政府の難病施策はわかりにくい. 患者の医療費の減免措置が特にわかりにくい. 軽症特例というのがあって, 軽症のために難病の基準を満たさなくても年に一定の医療費がかかれば軽症高額で減免されるという. 患者はあとでお金が返ってくるよといってもなかなか理解をして頂けず, お小遣いが減るからと言い高額な治療にはなかなか入れない. どのような手続きでこれが実現するのか医師側にもわかりにくい. 1年分の領収書を持って書類を提出してもさらに認定に3ヶ月はかかるのに. 実現までに時間がかかりすぎる. 一定の条件で上限設定がされるが上限の金額は所得に応じて変わる. そして高額かつ長期というのがあって, 年間1回の医療費が5万円以上が6回以上あれば減免される. 患者は場合によってはこれを保健所からご教示いただくし,自分で勉強してきてこれにして下さいという.

これが何を意味するかというと患者さんは8週間ごとに外来を訪れることになる.どうしてかというと1年365日とするとこれは52週+1日であって, 9週間毎に受診すると年5回しか来れず, 8週間では6回来ることになる.

もし年間の医療費が30万円であると5回の受診でも年間の患者が支払う金額は一緒であるが, 30万円以上ではそうはいかない. 難しい話だが患者さんにとっては6回来ることにするのがもっとも確実に医療費を節約できる.

さて私はボツリヌス毒素を用いた治療をしているが, 難病の患者さんでボトックスを来院時に施注している方がいる. ボトックスは8週間では打てない. 60日空けないと打てない仕組みになっているが曜日で外来が設定されているという診療の都合で9週間後毎で打っている. この場合患者は6回以上来院することがない. どこかで1回余分に受診して相応の医療費を支払う必要がある.

さてこの国民の医療費が膨化している時代に厚労省は患者の来院回数を増加させようというのだろうか. 診療すれば再診料にしろ何にしろ余計にお金がかかるのではと私は考えてしまう.

さて厳密に難病の認定を進め正直に患者を診療すると患者数は増加の一途である.落ち着いてくれれば次回の診療は9,10,11,12週後にと考えてきたが,これらを8週間に縮めることは難しい.

では難病の患者さんは全てが医療費が高額なのか. そうではない. 高額な医療費でありかつ患者さんの負担を減らそうとすれば医療費が高額にならないような工夫をしなくてはいけない. そこには医師各自の裁量が入る余地がある. 高額で有効な治療を勧める医師もいれば, 高額でも見合った効果がないと思われる薬剤を少し控えようとする医師もいるかもしれない.

現状の施策は少しわかりにくいのでもう少しだれでも理解できる制度にしていただきたいものだ.

 

人気のある急性期病院の役割を考える

厚労省は真剣に病院の機能分担をすすめている.地域での人気の急性期病院(簡単いうと救急車がいつもやってくる病院)では新患を丁寧に診て,落ち着いたら開業医さんに戻すという役割が大きい.そういう病院では投薬をして経過を観察するだけの患者さんは歓迎されない.われわれは自分達の役割が終了したと考えた場合には慢性の経過観察して下さる医院などの医療機関に移っていただけないか患者さんに打診する.ところが「この病院にはもう8年もかかっているのだから俺はここに来る」といって譲らない人がいる.こういう方が多いと何が問題かというと1人にかける診療時間が必然的に短くなって医療の質が低下することだ.診療の待ち時間は当然長くなり,最後の患者はどうしてこんなに待たせるのかと医師にくってかかってくる.私は次のことを提案したい.患者さんよ,あなたはもう十分この病院にかかりました.新しい患者さんに席を譲ってあげて下さい.自分たちががこの病院にかかったときに待たされた経験をしたら逆に自分の存在が人を待たる原因になっていることを理解していただきたい.仁義なき逆紹介という言葉を聞いて既に久しいが,私自身がこの言葉を実感するようになったのは本当に最近である.正直自分がちゃんとした診療をすればするほど逆紹介も困難となる矛盾をはらむ.

安達製作所 ED15 16番キット 機械遺産(日立製作所)

10年以上前に一旦生地完成にまで至っていた安達製作所ED15 キットに手を加えてほぼ完成させた. 塗装に苦労, LED 点灯化で苦労. ここまでくるのは大変な苦労の連続で, このキットをちゃんと完成させている方は本当にどれだけいるのでしょうか. 特に台車の組上げは本当に難しいです. また小径レールの走行はまたまた苦労の連続で, 現状でも台車の接触でショートをきたすのでちょうど内側の砂箱の後面ないしはエアタンクの前後面には絶縁テープの貼付が必要です. 下回りのトビカトップガードという塗料がカーボン素材であり, 電気伝導性があるための困難と言えます.

ED級輸入電気機関車

ED級輸入電気機関車 ED15

暑さに思う

この10年で暑くなった.夏の暑さは危険なレベル.戸外で働く仕事では無くて良かったとつくづく思う.クーラーの使用と自動車はますますこの気温を上げていることは間違いない.もし今後この土地で暮らしていくとすると抜本的な生活の改革が必要だ.自動車はもう止める.アスファルトの道路は掘り返して土に変える.

そのためには人事異動が必要で,すべての人が居住地のそばで働くようにするのだ.勤務地を交換して,同等の仕事を居住地近隣で探す.荷物は公共交通機関でまかなおう.居住地を交換しても良いかも.

おそらく夏の気温が低い土地に移住する人が増えるだろう.私も北海道か東北に土地が買いたくなった.そして今後は盆地と都市での居住人気が無くなるに違いない.

片思い

昨年の6月, 大学時代片思いだった女性の訃報に接した. 思いもかけないことで,そもそもどうして亡くなったのか, いても立っておられなくなり, 元友人の妻になっていたにもかかわらず告別式に出かけた. 悲痛, 衝撃. 40年あまりの空白があるものの, 蘇るのはその彼女が全く若くて清楚であった姿. もちろんその思い出は遠いはずなのに, 彼女が今までどのように家族と共に生きてきたのかという事実に接し, 当時の姿がまるで昨日のように蘇ってくるのであった. 1週間は夢見こごちが悪く, 3週間は彼女の姿を追い続けた.

今年は高校の同窓会が開催された. 42年ぶりで皆さん60歳です. 思いがけず全クラス合同であり, 片思いであった往年の美女に2名も会うことができた. 1名は予想通りの変わりなし, 1名は面影を求めようがないほど普通の方になっていた. この後者の方は高校生の時にはあまりにもきれいで私は遠くからあこがれの存在として見ていただけですが 思い切って話しかけてみたのです. すると彼女は私が神経内科医師と知るやご自分の母の病状について根掘り葉掘り質問されるわけです. 適当に切り上げてお別れしましたが. 別れ際にあこがれの存在でしたと告白してしまいました. その後, 当時の片思いの感情がどっと私の脳裏に. それは何日も何日も続き, あの狂おしい, 甘い, 片思いの感情が当時のままに蘇るのです. 実際に会った方ではなく, その過去の存在に対する恋愛感情なのでしょうか. でもご本人と話すとこの感情は間違いなく高まります.

ED41 アプト式電気機関車 HO/16番 完成

天賞堂の中古不動ED42を購入し, ED41へ改造していたがおおかた完成した. できるだけお金をかけずに, 壊れたパンタグラフもそのまま修理したのだが,このパンタグラフはPS11と思われ、輸入時のオリジナルよりは一回り小さく迫力不足である. 屋根上に載っている円筒形のエアタンクは直径5.1mmの真鍮管を加工して使用. 両端のドーム形状はエポキシパテで成形した.ドーム形状が不完全だ.帯板を側面に張り巡らし, いい加減だがリベットも表現. 微妙にED42とは窓の大きさが異なるため上方に削って広げた. 前妻面は三つ折りのヨーロッパ風でこの表現と前面のデッキにある手すりの形状表現には十二分に工夫が必要. 完璧な表現は目指さず, できるだけ時間と労力をかけず, この結果となったが, 最終段階でさらに理想とは遠い結果の塗装となり, また完成後にモデルシーダーの点灯装置が一部破損し, 購入し直しとなっている. 実物の写真を見るとすばらしい重量感と抜群のスタイルであり, それにはやや遠い. 塗装は大失敗で表面はでこぼこ. しかし100年近い前の電気機関車の表現としてはこの失敗塗装がかえって良いか.

ED41製作記

ED 級 輸入電気機関車